集団ストーカー被害概要2
集団ストーカーのしくみ
個人が行えば間違いなくストーカー犯罪として逮捕される行為を集団で行う状態は放置されているのは取り締まる側の加害者側への加担が考えられます。本来ストーカーという恐ろしい犯罪を防犯の為と称して仕事としてすり替えてしまうわけですから彼らの組織が犯罪行為を行ったとしても誰からの捜査が入ることがない巨大でゆるぎない機関であることを物語っています。犯罪行為を犯罪行為ではないように正当化する上では自分たちへの被害者に対する偏見や差別心に満ちた強力な思い込みが必要になってきます。末端の協力員まで円滑にこの組織犯罪を運営していくために他の加担者たちへの吹き込みや焚付けは重要です。組織を統率するための軍隊的な洗脳が行なわれているといってもいいかもしれません。
しかしストーカーを正当化できる道徳的法的な根拠はありません。如何に加害者集団内部に洗脳と思い込みをさせても彼らには被害者に行っていることが犯罪である自覚は拭い去れないのです。だから加害者たちは「スーカーをやってない」と嘘を貫き通すしかありません。
そして被害者の妄想として責任転嫁するわけです。加害者集団にはコインテルプロやMKウルトラなど責任転嫁技術まで存在します。責任転嫁された被害者は、最悪の場合、自殺する又は切れて犯罪を起こすいった本人の責任をとらざるを得ない状況まで組織暴力に追い込まれます。被害者が精神病院に入るとしても責任が加害者集団ではなく被害者個人の病気の責任として入るわけですから集団ストーカーの被害者への責任転嫁の見事な成功を意味します。絶対多数の集団狂気に対して少数の正常な被害者は正常とは見なされない転倒と倒錯の結果でもあります。
しかし集団ストーカーは存在しないという常識が前提になります。常識を作り上げるには加害者側や無関心層の数の力は大きく貢献します。この常識は少数であっても被害者が多くの証拠や声をあげることで覆ります。だから被害者同士の交流、被害者が証拠、ブログやスレや動画、ウィキペディアにさえ残すこと加害者側は嫌う訳です。集団ストーカーは存在しないという常識を維持する為に加害者側は躍起になるのです。海外を含め次第に被害者が声を挙げ始めています。英語圏ではTI(ターゲット・インディビジュアル《対象者》)という言葉も集団ストーカーを表す代表的な言葉として定着しています。常識は少しではありますが覆りつつあります。次々と被害者仲間が倒れていく悲しい経験もしますが、被害者同士の情報の共有や保存は最低限心掛けていくべきではないでしょうか。
集団ストーカーの動機
一人の被害者が集団ストーカーから受ける被害は単独の重症のストーカーに付きまとわれるよるも遥かに過酷な暴力です。しかし集団で行うストーカーは責任者を含めて一人あたりの罪悪感も希薄です。被害者は個人単位の重症のストーカー事例と同じように、集団ストーカー側の人間の人格を一個の人間の異常性な人格として投影してみることしかできません。彼ら加害者は職場では正常な上司、家庭ではよき夫や妻、父や母として振舞っていることでしょう。しかし被害者にとって加害者側は、投獄や入院の必要な凶暴で悪質で破綻した人格異常者としか目には映らないのです。とりわけこの集団ストーカーの総括責任者に対してはさらに権力をもった悪魔崇拝者かお門違いの復讐心を持った変質者であるかのような印象をうけます。それは被害者が相手の加害者側集団を一個の人格を見なした場合、加害者側が集団ストーカー犯罪を行う上での内面的な動機として挙げられるかもしれません。
集団ストーカーが可能な条件
動機がいかなるものであれ集団ストーカー犯罪がなんの障害もなく速やかに遂行される上では条件が整っていなければなりません。まず一番の条件として挙げられるのは、豊富な資金力が挙げられます。税務署から睨まれることなく安全なところに確保でききる巨額な資金は何処にあるのでしょうか。言うまでもなく殆どは我々国民の税金です。防犯や警備の予算を確保してはいるものの適切な使い道がなく予算を使い切るためのはけ口として集団ストーカーという仕事が成り立っていることではないでしょうか。これは公共土木事業のあり方との大いに共通性があります。
二番目に豊富な人材の確保です。基地の日本人職員に巡回警備という仕事があるそうですがどのような仕事なのでしょうか。詳細の仕事は明らかではありません。さらに一万人近くもいるとされる機動隊です。デモのない日は何をやっているのでしょうか。デモ行進は年中あるわけではありません。また予備自衛官というのも5万人強いるそうです。総自衛官24万人以外にです。民間の仕事をちゃんともちながら仕事の合間に訓練を受けるだけで7千九百円の公費がもらえる人たちです。戦争は60年ありません。災害時も常設自衛官で充分です。この5万人強という数字は集団ストーカーやシュタージとして、またそのIMとしても稼動可能な人数ではないでしょうか。公共事業に例えられるわけですから第三セクターを緩衝材にまた調査や警備など名目を隠れ蓑にストーカー行為を行なわせるといった雇用を生んでいることも十二分にあります。
警官はダイレクトな命令を受けて私という被害者の周りに頻繁に出没しますがストーカーではなくパトロールの職務として給与に換算されてしまいます。しかし他の公務員や警備会社、一般企業、自営業、政治、宗教団体や自警団などの一部に存在するストーカー協力態勢の人員にはこの予備自衛官の動員に近い方法がとられていることも推測されます。その場合7千九百円という日給ではなくて捜査協力費として公費が流れている可能性もあります。また必ずしも金銭の授受とは限りません。素行不良の集団との間には裏司法取引的仕事として、また企業の場合は警察の天下りから生じる義理的職務でストーカーが行なわれるといったこともあり得ます。ストーカー行為が一つの形態で運営されていないことは、このストーカー犯罪の中心的責任の所在を一層見えにくしています。しかしたった一つの意思決定機関が存在するだけでもストーカーを集団で行う機動性にすぐれた情報網が整備されてしまうのは携帯やネット時代的背景によるものも大きく貢献しています。集団ストーカー人材の確保はまた同時に集団ストーカーの為の一大情報ネットワークを形成をも意味します。
この国では仕事の内容さえ明らかにされていない公務や不透明な公費の使われ方がされていることのあまりにも多い社会です。まだまだ隠されて我々の目には触れない事実や仕事は山のようにあるでしょう。どうしてそのような仕事が必要なのか説明の責任すら感じていないようです。言葉を使わないで武器のよる威嚇や嫌がらせでする仄めかしをするというのは説明責任の完全な放棄です。付託関係にないのに権力をもつものが永久にそのポジションにいられることの自信の表れでもありましょう。しかしそのように無駄な犯罪行為でも末端の多くの協力者は真剣に仕事と思い込んでやっています。無駄な仕事とは周りの迷惑も考えずに下手なカラオケを歌っては仕事としてお金を貰っていることとなんら変わりません。真に身勝手で独り善がりな仕事です。なによりも彼ら公安官僚頂点としたストーカー集団の自己満足の為に公費が仕事量として浪費されるのは何とももったいないことです。また地球が意思や感情を持っているとするばオランウータンのように何もしないで貰った方がどんなに地球温暖化防止のため感謝されるでしょうか。
さらにまた国民そっちのけで何にも増して日米関係優先するがゆえの過剰警備が集団ストーカー化していることも充分考えられます。人権問題を扱う行政から独立したチェック機関、公費の無駄使いの監査など、欧米並みの国民による行政逆監視の欠落もこの集団犯罪の原動力に拍車を掛けています。これは日本人の大人しい国民性もありますが明治政府以来官僚主義がなおまだ受け継がれている弊害です。
これらを総合すると特定行政機関による情報の寡占状態が集団ストーカーを可能にする三番目の条件が導き出されるのではないでしょうか。国民からの行政監視は個人情報保護、捜査機密(この先は軍事機密おそらく)など多くの言い逃れで情報の公開が阻まれる一方で国民への盗聴は令状も通知もなく行なわれている国民と行政機関の片務関係がいい例です。これは被害者とストーカー集団に置き換えますとストーカー集団である相手の姿は被害者からは見えませんから被害者は相手方を付きまとうことも待ち伏せることもできませんが、しかしながら相手のストーカー集団からは被害者の言動は盗聴し一挙手一投足まで筒抜けに監視できるという絶対的情報量及びのそ収集力の優位にあるために、付きまとうことも待ち伏せすることも容易に行なわれるといった今現在の姿がそのまま当てはまります。
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