メディア

ウザいバナー広告を隠す技

 私の場合、TVやラジオからの仄めかしなどのメディア被害は集団ストーカー被害を受けてから、5年目に本格的に始まったわけですが、集団ストーカー被害だけでも大変なのに重複してメディア被害を受けなければならなくなったわけですからその負担は計り知れませんでした。

 しかし、メディア被害のほうはスイッチ切ってしまうとそれまでです。メディア被害が集団ストーカーにもまして酷くなったので、TVもラジオも遮断した生活を4年おくったのですが、ニュースはインターネットや携帯、人伝から十二分に収集できました。そもそもニュースなどなくても人は生きられるものであることはこのときの体験から学習しました。

 しかし、TVのない静かな生活でも、野球の時間になると集団ストーカーが、TVで今行っている野球の状態を、エンジン音や拡声器騒音などのノイズキャンペーンに絡めて伝えてきました。そのストーカーたちの挑発を我慢していれば一番いいのですが、どうしても巨人戦の野球の結果がおもわしくなかった時期が続き、「野球観戦しなかったから、結果が悪かったのではないのか」とも勝手な思い込みをさせられるにまでに至りました。

 それは彼らのサイレンや拡声器騒音などのノイズキャンペーンが被害者にMKウルトラとして使えるからなのですが、権力機関が非力な被害者にたいしてすべき行為とは到底思えず、その横暴や暇さ加減にはあらためて驚かされます。TVも観ない静かな生活を邪魔されたあげくに、野球の結果ごとまで都合よく彼らの意のままに利用されるの悔しいので(彼らはノイズキャンペーンやストーカー犯罪行為することで野球や勝敗ごとにに貢献しているかのようなカルト教義を持っています)、野球観戦を名目に夕方から数時間だけですがTV視聴するようになってしまいました。いわばTV視聴は集団ストーカーへの反抗でもあったわけです。

 メディア被害があるとはいっても集団ストーカー被害によって傷ついたつけられた心をTVは紛らわせてくれることもあります。どこの馬の骨かわからない末端の集団ストーカーの工作員とは違って、TVの人たちの身元や職場はしっかりしています。時として私のような被害者を慰めてくれることさえあります。複雑な思いです。しかし残念ながら、それらは一時的なもので、そのうちにTVから番組やCMでの仄めかしや誹謗中傷が再び始まるようになりました。

 酷いときにはTVを切ってパソコンに向かうのですが、最近ではパソコンのバナー広告まで、仄めかしをうけるようになって、かなりシンドイ思いをしています。TVのときはブラウン管画自体が大きなレンズの役割をしていた盗撮機だったわけですが、パソコンでもテンペスト技術のようなもので盗撮されているらしく、行くサイト行くサイトのバナー広告に特定ユーザーへの仄めかしや人身攻撃の内容を含んだものが多くて面食らっています。まさに「非常な生活」です。ブログのタイトル通りの生活がここにはあります。

 そんなときウザいバナーを隠せるフリーソフトをみつけました。mini memoというシンプルなフリーソフトなのですが、「常に前へ」という設定をすると、どのサイトへ行っても、バナー部分を隠してくれます。

Memo1

 広告バナーにユーザー(私)への仄めかしが含まれて不快なときは

Memo2

 このようにMINImMEMO1.1を起動して、上部のバナー部分を隠すことができます。いくらスクロールしても隠れたバナー広告は視界に入ってきません。バナー広告が予想されるサイトに入る前にこの上部の位置に最初から配置しておけばバナー広告を最初から一切目にすることもなく済みます。

Memo3

 不快なバナー広告が右下のようにもうひとつあったら、もう一個起動させて隠します。何個でも起動できます。ちょっと見るスペースが狭まってきついですが、迷惑メールのようなバナーが視界に入ってくるよりましです。ここまでしないとニュースが得られないのですから本当に「非常な生活」です。

 シンプルでとてもいいソフトです。動くバナーを自動認識して隠してくれる改良版がでれば、さらにうれしいです。配置の手間が省けます。プログラミングが得意な方よろしくお願いします。

 フリーソフト ミニメモ http://www.vector.co.jp/soft/winnt/personal/se408740.html

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矢島さん!ごめんなさい 2

被害者の弱い立場に付け込んで
タカアキ!お前はここまでするのか!

 5月にブログ「矢島さん!ごめんなさい」を書いてから、一瞬にして「矢島美容室」はTVの画面から消えました。あらためて被害者のブログの威力を知りました。それから3ヶ月間石橋タカアキとノリタケ扮する黒人のオカマユニットの姿は私がTV画面の前にいた限り目にすることがなかったので、私もこれ以上ブログに扱うのは控えていました。そこには長い間TVで活躍してきた芸人に対する心遣いがありました。しかしここにきて映画化というのはどういうことなのでしょう?

 PCのバナーの映画広告にも「まさかの映画化!」とコピーをうってました。「まさか」という言葉は私や関係者大方の立場にたった表現を使ってます。視聴者の人権を踏みにじった上でさらに視聴者の被害感情を茶化しています。こうなるとまたブログを書かざるを得なくなりました。またしてもマスコミと視聴者の約束は一方的に破棄されてしまいました。

 「矢島美容室」が画面からしばらく消えても、私は深く傷ついて、トンネルズの番組では殆ど笑えない状態でした。それは信用していたものに裏切られた不信感というよりもまた何かされるかもしれない不信の状態でもあったのだと今は思い返します。その不信は決して間違っていたわけではありませんでした。

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矢島さん!ごめんなさい。

 2004年から2009年までTVは観ない人になっていたのだけれども、プロ野球の試合が始まるとストーカー連中に緊急車両サイレンや暴走小僧の改造マフラーやエンジン音――、さらには夜鳴きラーメン屋や石焼きのスピーカーでノイズキャンペーンを始められる。この体制は引越し後も変わっていない。最近ではヘリやセスナまで動因している。(夜ですよ!)。 

 ジャイアンツが得点する直後に音によるアンカリングがあるので、折角TVやラジオを視聴しないようにしていても今現在どっちのチームが勝っているかストーカー達が強制的にそのノイズキャンペーンで教えられる。試合が終わったころにインターネットでスコアボードを確かめてみると点数の動きに合わせてストーカーたちは本当にノイズキャンペーンしているから恐ろしい。そして結果もストカーが被害者にノイズキャンペーンで教え込んだとおりの結果だ。カルトとはこのことをいうのだとつくづく思う。

 無理にTV視聴をしないようにするとアンチ巨人の私の心をイラツかせるようにノイズキャンペーンを彼らは執拗に繰り返す。そして知りたくもない試合の経過や結果を伝えてくる。努力してTV視聴をやめた意味すらもなくなてしまう。だから野球の試合中不快な時間で無益にすごしてしまうよりは気を紛らわすためだけでもTVを観てしまえということにした。

 視聴は携帯のワンセグとパソンンのキャプチャーTVだけで、TVは破棄したまままだ購入していない。完全にTVに心は許したわけではない。しかしプロ野球試合中にTVを観るくせがついてしまった。野球をやっていれば観てもいいのだが、肝心のプロ野球は視聴率が取れないという理由で、ほとんどやっていない。だから最近はほとんど娯楽ばかりをみている。(スポーツ怪現象とは当分オサラバだ)。


 するとまた特定視聴者(私)の個人情報をネタにするものがあっという間に増えだした。人身攻撃もひどくなっていく。携帯にワンセグTVのスイッチ入れても、PCのTVを観始めても直後に同じCMが流される。中傷や脅迫など嫌がらせが中心であるのは以前のメディア被害と同じだ。番組の中でも私を意識したようなユニット、また私をバッシングしているような歌がまたつくられた。あぁあ!これっていつまで続くのだろう。もう10年は過ぎているのに・・・。



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 前回TV関係のことを書いたブログの内容に何故かかなり反発しているのはフジTV。トンネルズが「矢島美容室」というユニットで歌をうたっている。これは昨年からのこと。恐ろしいのは、この矢島美容室というのは、私の幼馴染(おさななじみ)の名前と家の職業をそのまま使っているのだよね。これが。すごいことに。

 女装して歌っているのは私をオカマだと中傷をしていることでもある。またコケにして笑いもとっている。(もちろん私はオカマでも黒人でもありません。)。この手の人身攻撃用の曲の内容を聞くと対象にされた被害者の精神がやられてしまうから聞かないようにしているのだけれども、トンネルズが番組で女装ししながらコントやっている放送をチラッと聴いてしまった。それによると「ストロベリー」というのがユニットでのタカアキの名前だという。

 驚くべきことにそれは、ネット上の私のアカウント名でもあることだ。芸のために被害者のプライバシーであるアカウント名まで使うのか?これって、すごい人権侵害だよね!被害者の私を何故か後輩の芸人扱いしているときがあるからちょっとずうずうしいなとは思っていたが、まさかここまでするとは・・・。


 もちろん私は芸人どころかTV局に行ったこともないような一般人であり一視聴者だ。まだまだこのユニット中でプライバシー侵害が行われていることは予想できているけど、対象にされた被害者はそのメディアを使った恐ろしい暴力に番組も歌もまともに観られるわけがない。

 ところで「矢島美容室」と名前が使われている幼馴染(おさななじみ)はさぞびっくりしたことと思う。もしも幼馴染がTV側を訴えたならば、私が証人に立つしかない。それしかないでしょう。まだまだ被害者のプライバシーに関することが信じられないレベルまでこの歌やユニットのなかに隠されているのだが、これ以上ブログで言うと自分で自分のプライバシーを侵してしまうことにもなってもどかしい。

 集団ストーカー被害者が一般社会でストーカーたちに迫害されている。ぼろぼろになった心を慰めようとTVのスイッチを入れる。すると今度はメディアの世界でも嬲(なぶ)りものにされる。おそらく被害者からすれば過酷すぎるようなこれらの事実への認識はTV側の人間にはないのかもしれない。知人や芸人仲間への遊び感覚でやっているとするならば、たしかにトンネルズはかつて「みのもんたへの逆襲」というタイトルを歌をだしていた記憶がある。しかしそれは彼らと同じTVの世界の住人同士の応酬(やりとり)であった。無防備な視聴者に対してではなかった。

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犯罪は集団によって造られる4

 洗濯物のシーツを取り込もうとベランダにでると、突然、自衛隊か警察のヘリが現れた。団地の建物が40棟も立ち並ぶ中、何故か私が今いるベランダの真正面から近づいてきた。凄まじい音をたてながら突っ込んでくるといったほうがより適切な表現であろうか。恐ろしく低飛行なのでパイロットの表情すらも見えた。不安と怒りが入り混じった非常に不快な気持ちになって、シーツを取り込む手がとまった。ヘリは私の真上を通過していった。髪の毛がヘリのプロペラの風圧で乱れそうになった。あっという間の出来事だった。写真を写す間もなかった。どこかで私がベランダにでてくるの息を殺してヘリは待っていた。そんな悪意に満ちた計画性を感じた。それは行く先行く先の交差点で偶然を装って待ち伏せするゾロメ車両のストーカーたちと全く同じ意識に思えた。全く同じ悪意だった。

 一時間ほど前に小学校の子供2名で母親を呼ぶ声があった。「××ママ!!」。意味はよく分からなかったが、非常に芝居臭いものだった。ちょうど学校の終了時に防犯アナウンスとほぼ同時だったこともあったので、工作員の子供によるノイズキャンペーンやストリートキャンペーンの類(たぐい)に思えた。そのような時に私はベランダの外に出てどのような工作員か確認するときがあった。もしかしたらそのベランダに出る行動を期待してヘリを出現させる嫌がらせをセットで企てていたのではないかったか?とふと考えた。そうなるとちょっとしたコインテルプロである。その合間ヘリはどこかで時間をつぶしていた。だから時間は違うがベランダに私が出たときすぐに目の前にヘリを出現させることができた。

 確かにくだらない嫌がらせにしては大掛かりで手が込んでいる。「まさか!」。頭を何度もふって、常軌を逸したような考えを否定してみる。しかし殆どこのような努力は徒労に終わる。車両や工作員を使ったそのような嫌がらせは私は何千回、何万回と体験しているからだ。その数千回分の労力と経費をに集約してやってみたらヘリを使ってやることだってできるに違いない。だから今回もやはりにたようなコインテルプロなのだろう。そう思ったほうが精神衛生的にはいいときが多いのだ。つまりは現実としては受け入れがたい事象を頭の中で情報処理するときに余計な葛藤しなくてすむ。というわけなのだ。

 ところで少なくともこのヘリのパイロットとその上官は特定の国民へのストーカー行為であることを認識しているはずだ。そして仮に被害者に訴えられた際にはそのようなストーカー行為や嫌がらせでやったものではないと当然のように否定する。確かに痴漢は自らの痴漢行為を認めることはしないだろう。国民の税金を投入した組織犯罪ならばなおさらしらをきる。この不当な行為を世の中に認知されている正当な業務で摩り替えてしまう虚偽性、それをそこに関わる集団ひとりひとりに周知させる組織性に関して言えばヤクザも等しいのだと思う。

 私はこれほどの悪党や悪人がこの世に存在するとは思わなかった。このヤクザ集団は監視も警戒も及ばない国の権力構造のなかにいて、まったく咎められることもなく取り締まるなんら手立てもなくそのままに放置されている。ときとして今回のように国所有の兵器やヘリコプターを使用してまで国民を威嚇する。ヤクザをも凌ぐ最悪の悪党集団でなければこの集団ストーカーという大きな犯罪はこなしきれるものではない。それはどんなに非人道的で反社会的なものであれそれ以上咎めるものがない公権力を背景とすることで可能となるのだと思う。

 今回ベランダに出た私に対して行われた嫌がらせは小さなコインテルプロであった。が、しかしもっと大掛かりに行われたコインテルプロの場合はどうなるのだろう。彼らストーカーたちは個人データは余すところなく活用できる環境にあることだから、切れやすい人物を「対象者」(TI)として選ぶことは容易い。小さな一個人はこの恐ろしいほど情報網と技術をもった巨大な集団に目をつけられたらひとたまりもない。もしターゲットとなった一個人がこの巨大な犯罪集団の意のままに追い詰められて犯罪に走ったとしても防ぎようがないようにも思える。

 特に「対象者」が集団ストーカー被害の初期段階ではその現実離れした被害からいって自らを「被害者」と気が付くことは非常に難しいとするならば、あたかも催眠術のように加害者集団の思い描く特定の犯罪へと導かれていくのではないだろうか。(私自身が最初集団ストーカー被害であることに気が付くのになんと6ヶ月もかかった)。


 秋葉原に監視カメラを設置するニュース、また加藤被告の公判での謝罪の言葉をニュースで聞きながら、この事件が本格的なコインテルプロやMKウルトラではなかったのかと、被害者なりの疑念がよぎる。誰かのあてつけのためにこうして殺人マシーンが選定さされ、養成され、そして謀られたということもあり得たのではないか?どうしても私はこのような穿った見方から逃れられないでいる。(私自身が毎日コインテルプロの被害にあっているからこのような主観は仕方がない)。いやそこまでの計画性はなく私が日常的に受け続けている小さなコインテルプロのレベルであったのかもしれない。もしかりに初期的な僅かな期間だけで私と同様なコインテルプロが加藤被告に対しても行われていたとしても、やはり特定の犯罪への誘導があったと考えるべきである。

 それはただたんに集団ストーカーが対象者を追い詰めて犯罪を誘発させるという集団ストーカー本来の目的に合致しているためだけではない。事件当日、数百キロ離れた現場には事件が起こることを予想して何十人という公安警察及びその関係者が何時間も前からこの場所に待機していたという揺るぎのない事実からもうかがえる。―――それどころか一部のマスコミまで呼び寄せてこれから行われるだろ事件の現場にあらかじめ放送取材機器とスタッフを陣取らせ、殺人犯と殺されいく被害者の方々の人生をワイドショウの見世物(みせもの)にしたという明らかな痕跡は一体どう説明するのだろうか。

 「加藤はこれから絶対に通り魔殺人をやる!」そんな絶対的な確信がなければ事件が起きるはるか以前から公安、公安協力員、そしてマスコミと、これだけの多くの人員は集まらなかっただろう。その確信はどうやってできたのであろうか?加藤になにかしら嗾(けしか)けてきた加害者側が他の何千という集団ストーカー行為で培ってきた経験や自信がそこにあったのではなかったかと考えている。―――MKウルトラ―――。もしそうだったならばTI(被害者)がつぎにどんな行動を起こすものかは加害者側が予測できて当たり前であろう。

 「そのことはもう言いなさんな!」と。現場に張り込みをしていた一部マスコミからは脅しともとれるメディア攻撃が未だに私に対してある。
盗聴行為によってTV局と私的な部屋を強制的に結びつけている双方向状態。その条件の下でのマスコミから特定視聴者への干渉。何にもましてこのことは加藤被告が大きな力によって本人も意図しないうちに特定の方向へ導かれていったのではないかと確信に近いものを私に抱かせる。

注釈:

 

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川田亜子さん最後の言葉5

 また亜子さんは盗聴に怯えて、事件の4ヶ月前に警察に被害届けも提出していた。アナウンサーが何故集団ストーカーに狙われるのか不思議だが同じような業界でも社会派の映画を作る人物には被害者がいると聞く。盗聴が始まったのはこの社会派映画をつくる人物との交際が切っ掛けになっているようである。被害の二次感染とか二次被害というものなのだろう。重症の被害者の私には耳が痛い。これで身辺には友人もできない。

 亜子さんの情緒が不安定になっていったのは特別なことのようには思えない。被害者は多くは多少なり経験している。どんな人であれ集団ストーカーという集団性精神的暴力に平静であり続けることのほうが難しい。精神的な不安によって集団ストーカーが幻覚のように見えるのではない。集団ストーカーの存在によって被害者の精神が不安定になるのである。本末転倒させた理由(集団ストーカー幻覚妄想説)はいまだに加害者側の常套手段である。


 ある週刊誌によれば生前亜子さんあることを聞いたとき次のように返ってきたという。「あれ、あるの?」「実はあれ、あるのよ!」。《あれ》とは”集団ストーカー”のことであるとも週刊誌には解説があった。決してTVではメジャーにならない”集団ストーカー”という単語をそのとき週刊誌で初めて目にする。別の週刊誌だが編集者にも公安による嫌がらせもたまにあるという。

 週刊誌群をチェックしていると読み飛ばしそうになるようなところに集団ストーカーらしきものになにげに触れた記事が数行、稀にでてくる。週刊誌はだから侮(あなど)れない。ふざけたTV よりも幾分真実を追っている姿勢がある。「集団ストーカー」のことを「あれ」と指示語で表すぐらいマスコミの中でも「集団ストーカー」は大きな存在であることはどうやら確かなようだ。被害者の私に密着取材(盗聴)している過程で集団ストーカーの実態を把握したというレベルではなかった。集団ストーカーを「あれ」と呼んできたマスコミと集団ストーカーの間には歴史めいたものすらそこに感じるのだ。


・・・つづき未定

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川田亜子さん最後の言葉4

 川田亜子さんはこのことを知っていた。それというのもTVと私の部屋のこうした些細なやりとりはアナウンサーや報道のみならず業界の芸能人まで知られてしまうのが当たり前の状態だからだ。TVの前で呟(つぶや)く独り言が恰も芸人が大舞台で演壇や演技を成功させたかように広まってしまうこともままあった。何故にそのようなことが起こりえるのか。私の部屋が外接のTVスタジオにされているぐらいは自分でも説明できようか。しかし何故(なぜ)私なのかは私自身がいまだもって分からない。

 亜子さんはこのような特異な私のポジション利用した。さらに言うと私と『香り』の関係を映画の中のカトリーヌにコジツケて成功させた事例――形成事実を利用した。ことわっておかなければならないが亜子さんと私の間には特別な感情はなかった。亜子さんがフリーに転進したころは私は4年間 TVも観ていなかった。亜子さんが入社した新人のころはよく覚えているがフリーになる前後から死の直前までは彼女の近況を全く知りようもなかった。

 亜子さんは亜子さんの業界のほうでの人間関係に悩んでいた。ブログにもぶちまけて発散させたいのだがそうもいかない。そこで特定視聴者を仄めかすマスコミの昔からある技術が隠語として優れていることに目をつけた。特定視聴者のデータは被害が長期間にわたると隠語として確立した体系になる。その隠語を使うと、内輪だけの人間に対してだけだが、感情を発散することができる。そうやって心情をわずかながらも業界内と私に吐露しようとしたのだと思う。

 亜子さんが最後のブログを読んだとき、『香り』というのは亜子さん本人のことであることを私は即座に理解した。また業界にいる人間で最後のブログの中で亜子さんのいう『香り』が亜子さん本人に絡めてあることに異論を唱えるひとはいないと思う。もちろん異論どころかこのことに触れることすら憚る業界たちではある。

 この『香り』が日テレのアナウンサーではなくてあくまで映画「炎のごとく」の中の『カトリーヌ』であることをことわっておかなければならない。これは当人の名誉にもかかわる。架空の人物が漠然とした状況を少しでも言葉で説明できるよう利用されているにすぎない。『香り』アナは『香り』アナではなく『香り』アナが演じている『カトリーヌ』がこの特異な状況の世界に存在しているならば、亜子さんもどうやら『香り』アナ演じているところがないわけでないということである。

・・・次回へつづく

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川田亜子さん最後の言葉3

 マスコミはそのような喩えを非常に喜んだ。比喩は視聴者とTV業界のコミニュケーションが円滑に運ぶ手段なのだと思う。実際マスコミから特定視聴者への一方的な迷惑メッセージは殆どこの形態をとる。この部分はマスコミ被害者の経験ある方は理解可能のレベルだと思う。たまに視聴者側からマスコミの手法を逆手にとって仕返ししたというわけだ。

 『香り』アナは日テレのアナウンサーだった。絶壁から車ごと墜落するシーンを利用した冗談は野球チームのジャイアンツを転落にまた絡めることもできた。その年は不思議なことにジャイアンツが9連敗を3回繰り返して文字通りAチームからも転落した年だった。

 仕返しにしては、かなり被害者がマスコミに取込まれている。マスコミと私が仲がいいに思われるかもしれない。しかしマスコミに24時間捕囚された囚人の抵抗はこのようにマスコミに多少媚びないと到底無理だった。女子アナを相手するホストのように振舞わなければその日のニュースすら与えられない。アウシュビッツのユダヤ人芸人、もしくは劣悪な環境の置屋の女郎とも然程かわりがなかった。

・・・次回へつづく

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川田亜子さん最後の言葉2

 「突然炎のごとく」は三角関係を扱ったテーマだった。1962年のフランスのモノクローム作品だった。TVがきつくて視聴できない頃合いに入っていたので、たまにTVの放送を見ることを中断してビデオの映画をこちらの部屋のデッキで流して精神を休めていた。TVを一時的に拒絶してビデオ鑑賞している合間もTV局は私の部屋へのモニターを辞めようとはしなかった。

 そのような条件の中、私がこのフランス映画のドイツ人青年役になりきって「カトリーヌ」と叫ぶとなぜか一部のマスコミにうけた。日テレだけは反発した。叫んだところの映画の場面はカトリーヌがもう一方の愛人と絶壁から車で無理心中を図るラストシーンだった。始終マスコミの盗聴にさらされていると、突然、なぜか道化を演じてしまうことがある。これは盗聴ストレスからくる被害症状なのだろか。まず自分らしくないし、自分でやっていて情けないものだった。

 もちろん視聴者とTV画面の有名人の間に三角関係が成り立つわけはない。しかしTVの有名人と視聴者の間で男女の感情が全くなかったわけでもなかった。視聴者側からTVの有名人に特定の感情もつことは自然なことだし、有名人側からすれば自分出番に馴染みのADや常連客がいつも目の前にいれば情がうつってしまうということもあり得るのだろう。TV側には出演者にいくつかモニターが見えていて、そのモニターの中にTVを視聴する特定視聴者の私の姿も映っている。視聴者と有名人がすぐまじかにいるような錯覚=バーチャルリアリティーはこうして成立していた。さらにいうと遠隔手術や遠距離恋愛も実現を可能にしてしまうTV電話に近いものだった。

 しかしながら被害者と加害者という対立した関係であるのにもかかわらず身近な人物に抱くような特定の感情を持ってしまうはどうして避けられないのだろうか。外をうろつく工作員の女には決してこのような感情は抱くことはないだろうし、ましてや心を開くこともあり得ないだろうことなのに。


・・・次回へつづく

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川田亜子さん最後の言葉

 川田亜子さんが書いていたブログは2つあった。ひとつは"Ako's Style"というブログ名で残っているが、死の直前まで更新していたブログのほうは事件後、なぜかすぐに閉鎖されてしまった。そのブログの最後の本文はもう消されてしまったので全部は覚えていないが、気になる一部分だけ今でも覚えている。

 「・・・皆さんそれぞれの『香り』に出遭えたらいいですね・・・。」と書かれていたように思う。『香り』というのは彼女と同じ職業の女子アナの名前に掛けていることはすぐに分かった。このような名前の使い方は隠語のように業界に流通している。私は視聴者なので業界と特定視聴者の間に出回っているといたほうがいいか。24時間始終盗聴された特定視聴者と業界の関係はもう世間一般からは理解困難なレベルにまでに達していた。特定視聴者をもとにした隠語や流行文句さえも構築されて流通していた。

 その『香り』というアナウンサーはぱったりTVに出なくなってひしさかった。その女子アナを私はカトリーヌと呼んで冷やかしたことがあった。フランス映画「突然炎のごとく」をたまたま観ていた時、何を思ったのか映画の主人公の名前のカトリーヌに重ねて私が勝手につけてしまったのが切っ掛けだった。

 実際はカオリーヌとか本人が使っているカオリンがニックネームとしては相応しいのは分かっていた。日テレのテレビ番組に「かっとおよび」という番組がプライムタイムにやっていたらしいが、「か」という文字しか一致していないではないか?というTVサイドから特定視聴者への反論や突っ込みを番組名にそのまま使ったものだった。番組のタイトルだけにちょっと借用するだけはでなく特定視聴者を対象して番組を一本作ってしまうことも日常的に行われていた。

・・・次回につづく

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足利事件

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”足利事件”がDNA再鑑定で冤罪が明らかになった。

そのニュースいいのだけれど私の前では仄めかされて伝えられる。

メディア被害を含めた集団ストーカー被害されるのは

私がこの「足利事件」の菅さんのように冤罪に巻き込まれたような不幸なのだ。とか

もしくは何かの犯罪の容疑者でこのような集団ストーカー被害にあっている。

とでもいいたげな仄めかしだ。

その「仄めかし」はニュースの編集の仕方であったり

ニュースの順番を変える事によって作られる作文のような迷惑メールで

被害者の私でもできそうな仄めかしである。

もし仄めかしどおりの事実ならば15年に及ぶこの被害は(メディア被害は10年目)

何がの犯罪容疑者扱いとしても時効を過ぎて被害が収まっているだろう。

さらに私が何度も警察を訪れて集団ストーカー被害の相談をした時に、

相談した警察官から

私が何かの容疑者であることを伝えられたはずだろう。

何もない。

通知もなければ説明もない。

私には前科すらない

それでこの15年に及んでこの過酷なストーカー被害をいまだに受けつづけている。

「仄めかし」だけでメディア被害を含めた集団ストーカー行為を

正当化しようとしている。

ここには法律的根拠もない

倫理な思考もない人道的思いやりもない。

子供だましのようなおとぎ話や空想の世界を被害者に

繰り返し言い聞かせて洗脳しては

集団ストーカーをまだ続けようとしている。

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でも「冤罪」は世の中がどんなに進歩しようが決してなくならない国家犯罪ですよね。

菅さん、生還できてよかったですね。

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