経済・政治・国際

安倍晋三首相への手紙:カンボジアの選挙

安倍首相

内閣官房、日本政府

 

RE:カンボジアの選挙

 

親愛な安倍総理へ

今年7月28日に国民議会選挙の後、カンボジアの首相としてフンセン氏の任命にあたってあなたが祝辞の書簡を送られらたことに関して私たちは、一筆申し述べさせていただきます。

あなたの政府が認識していますように、独立カンボジア選挙監視団体、国際的非政府組織、そしてカンボジアの人権状況に関する国連特別報告グループは、今回の選挙の過程で選挙そのものに著しい構造的欠陥と有権者の不正な登録があったこと、また不正な投票行為、投票妨害、メディアの偏向報道、野党への差別的扱い、現職のカンボジア人民党(CPP)行政情報の不当な使用、および国家治安部隊による特定政党へ肩入れ等があったことによって選挙が著しく損なわれたと結論づけています。

公式の発表と称せられる結果がはたして有権者の投票を反映するものかどうか重大な疑問を抱かせるほどの根本的に欠陥のある選挙でした。対カンボジア国立レスキュー党(CNRP)によってもたらされた苦情を検討することを拒否するという横柄さも加わり、すでに文書で立証されしまった資料をも厳密に調査を実施しようとする真摯な試みをCPP-制御全国選挙管理委員会と憲法評議会がさらに拒絶することでますますこの疑念への確信(不正選挙)は増大してきました。

(中略)

したがって、我々は、日本が公に他の国々と一緒になって、国際的な支援もと独立した不正選挙の調査を求めてくれるように希望しています。このような調査の後を経てのみ七月の選挙の勝者が認知され、またその結果として首相になった人は祝福されるべきである信じています。

2013年1月28日にあなたは日本の施政方針演説で、 「私たちは、外交の基本は自由、民主主義、基本的人権、法の支配の基本的な価値観に基づいて戦略的な外交を展開する。」と宣言されました。

したがって、我々はあなたがフン·センに対して、不正選挙調査に抵抗するよう励ます手紙を送った事実は非常な驚きであり、深く失望いたしました。あなたのその手紙は、人権と民主主義の原則を尊重することを基盤とし自由かつ公正な選挙を求め彼らをサポートする国際社会に依存しているカンボジア人の数百万の希望を台無しにしてしまうものであります。

敬具、

ブラッド·アダムズ

エグゼクティブディレクター

アジア課

敬具、

土井かなえ

日本ディレクター

2013年10月26日 ヒューマンライトワッチから安部総理に送られた手紙です。全文はこちら↓

http://www.hrw.org/news/2013/10/16/letter-prime-minister-shinzo-abe-re-cambodian-election

カンボジア:不正選挙に対する独立調査を」の記事↓

http://www.hrw.org/ja/news/2013/10/23

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マイナンバー

 
 今年の春に野田政権は殆どなんの議論もなくマイナンバー導入の進めていたようなので驚きました。ACTAのときもそうでしたが、国民が知らされないうちに危険な法律を通してしまおうとするような政権はもう懲り懲りです。
 
 今回はポスター形式でまとめました。

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 ACTAと同じように法律の名目とは裏腹に、国民にあまりに不利益が多く問題のある法案です。低所得者想に消費税増税の控除額給付するためとうたってますが、給付金は今まで政府が何度も行ってきたことですし、改めて番号を割り当てる必然性はありません。マイナンバーを割り当てるために500億円導入費を必要とし維持費に毎年数百億円もかかるというのですから控除額が経費に瞬時に飛んでしまいます。あまりに馬鹿げてます。

 そして遅かれ早かれいづれ国際社会と同じように消費税は軽減税率になるのはわかっているわけですから、控除金はなくなります。つまり消費税10%の頃にはマイナンバー導入の前提条件がもうなくなっている可能性すらあるのです。

 このマイナンバーは国民背番号制度として 自民政権のときに何度も挙げられてきた法律です。前回も自営業者の大反対で廃案になっています。しかし懲りずにまた名前を変えて官僚が復活させて今に至っています。今回は大震災と放射能汚染の国難のどさくさ紛れにかなり強引で非民主主義的なやり方をしているように思えます。オーストラリアでも同じような経緯をたどって廃案になってますが、国民に一度拒否されたものを名前を変えてまで復活させる日本の官僚のような下品さ持ち合わせてはないようです。

たね蒔き「マイナンバー(共通番号制)の落とし穴」

http://www.youtube.com/watch?v=6vuw4ft1PlE

http://www.youtube.com/watch?v=lIQMSpTocq4

http://www.youtube.com/watch?v=gdWlPuPIFHE

国民背番号制度の本当の目的

http://www.youtube.com/watch?v=dPjqZcL-378

国民監視のマイナンバー法案反対も脱原発と共通課題

http://53317837.at.webry.info/201211/article_3.html

 毎日大企業や役所の個人情報漏えいのニュースがあります。警察官が個人情報を売り飛ばす事件すらあります。そんな中でも免許証に保険番号に、年金番号・・現在のように番号が不統一ですべての番号が違うからこそそれぞれが暗証番号やパスワードになって次に起こる情報漏えいの連鎖を食い止めてくれています。そしてかろうじて我々は深刻な事態を迎えず守られています。しかしマイナンバーはその天然セキュリティを国家の都合で外してしまおうする行為です。しかも個人情報が漏洩した際に国は何ら手立てすら考えていません。あまりに国民を馬鹿にしています。

 国は秘密保全法等で情報を国民に隠し続け一方でこのようなマイナンバー法案で国民の個人情報をペットや愛人の数から子供のお年玉の額までひとつ残らず集めてデータ管理しようとする姿勢です。いくらネット時代であってもこんな悪法で国民が丸裸にされたら情報格差と力の差は歴然です。 放射能漏れの情報隠しで多くの方々が憤りを感じられたと思いますが、小さなものは守られ大きな力は公開されて秩序が保たれるはずです。この国は真逆のことばかりしています。これじゃいつまでたっても我々国民は国、アメリカ、原発ムラの奴隷状態から抜け出せません。

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ストーカー規制強化法(集団ストーカー禁止法)に向けて③

  今日、「子供の日」はゾロメ車両が殆どありませんでした。リサイクル屋のスピーカーによる騒音凱旋もありませんでした。しかし全く被害がないということではありませんでした。スーパーに日用品を買いにいったのですが、自転車を停めてあったスーパーの駐輪場に戻ってみると自転車の鍵が開かれていました。4桁の数字をあわせるチェーンのやつなのですが、確かに鍵を閉めて店内に入った記憶があったものの開けられた鍵は自転車の籠(かご)の中にちゃんと入っていたので不審に思いながらも家に戻りました。

  家に戻ると間髪を置かずにすぐさまスパーへまた向かいました。買ってきた日用品の荷物が多くなったので、荷物をいったん家に持ってきて再び不足分の食料品の買出しに向かったわけです。先程気持ち悪いことがあったので、駐輪場では今度はしっかりと自転車の鍵を掛けました。店内では工作員は少なめでした。しかしレジのところではまた黒服青ジーンズの複数の工作員にタイミングを合わせられてうんざりしました。いつものことですがレジに並んだとき工作員が後ろにべったりつきます。もしくはわざわざ同じ台にやってきて買ったものを目の前で詰めようとするのです。この手のシャドーイング(付き纏まとい)は毎度頭にきます。カッカしながらスーパー前の駐輪場に帰ってきましたが恐ろしい偶然はまだまだ続きます。

  自転車の籠に荷物を置こうとすると、目の前の光景にたちすくみました。なんとまた鍵がまた籠(かご)の中に入っているではないですか。工作員が閉めたはずの自転車の鍵が開けられて籠(かご)の中に入れていったのだとすぐに判断はつきました。なにせこれで100回目ぐらいやられてますでしょうか。「またか!」。気持ち悪いには気持ち悪いです。鍵をいくら変えても4桁の番号は工作員連中には筒抜けということをも意味するので、「気持ち悪い」というよりは、「怖い」ことには間違いありません。でも自転車を壊されたこともあるので、それよりはまだましでしょうか。壊されたときは被害届けはもちろん出しました。しかし、この鍵を開けて何もしないと被害は、なかなか被害を警察に届けにくいですよね。

  なぜか私の場合は「家宅侵入」が殆どありません。
(何故かというと私にはメディア被害もあるからだと考えています。メディアは私の家に出入りする人物をオンタイムに把握しています。幸か不幸かメディアがわが家を監視してくれている状態は、本家ストーカー集団の工作員がなかなか私の家には手を出しにくい状況をつくっているようなのです) ですから私には家宅侵入の被害がない分、野外でのこのような自転車の悪戯(いたづら)などが家宅侵入被害のある他の被害者の方々よりも必然的に増えるのだと思っています。

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  さて自転車の鍵への悪戯(いたずら)で切れそうになった感情のまま買い物かごに荷物をいっぱい積んで自転車をこぎだして道路にでますと、今度はパトカーがサイレンは鳴らさずに赤色燈をまわして目の前を通過して行きました。これも「偶然を装った嫌がらせっぽい」ですね。


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  しばらく自転車をこいでいると、案の定、同じパトカーが私の家の前の別の通りに先回りして待ち伏せしていました。もちろんいつも通っているルートです。これも加害者側に言わせるとあくまで「偶然」であるようです。殆ど毎日起こる不思議な「偶然」です。因みに反義語は「必然」です。被害者はこのことを「故意」と別な表現をします。

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  警官はドライバーの一名のみでした。職務中の警官は無線連絡が一般的ですが、この警官はうつむいていて携帯のメール画面を見つめていました。その姿(ポーズ)はまるで工作員の中学生そっくりだったのには驚きました。こちらのほうの光景は先程の自転車の鍵への悪戯よりも数倍も気持ち悪かったです。

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  ところでタイトルのほうに戻ります。ストーカー規制法改正です。被害者と全く面識のない加害者(工作員)が偶然を装って行うストーカー犯罪にどうやって網を掛けることができるかということがポイントなのかなと思いました。それには外国の組織犯罪関連の法律や参考になるような気がしています。

  具体的に言いますとある外国のマフィアがその国の市民を脅迫するとき、マフィア本人がその市民の前に直接姿を表して脅すことは稀だと思うのです。手先を使って、足の付かない脅し方をするのが映画やドキュメンタリーで知りうるところです。集団ストーカー犯罪に置き換えると「手先」は「工作員」。「足の付かない」は「偶然を装う」ですね。もしそのようなマフィアによる巧妙な脅迫を取り締まる法律がどこかの国に存在しているならそのまま日本の集団ストーカーの「仄めかし」や「シャドーイング」犯罪の取り締まりにそのまま転用できるのでないだろうかと思いました。

  どんな犯罪でもそうですが、その手口は年を追って悪質、巧妙化していきます。それを取り締まる法律も対応していくべきだし、実際犯罪の進度によって法律も対応させていっています。「立川署警官ストーカー殺人事件」に代表されるように、日本のストーカー規制法が最初から機能しない愚劣な法律ならばなおさらその法律が機能するように改正するのはごく自然なことです。




  実はストーカー規制法改正をブログで言ってから多少集団ストーカーの動向に変化があります。集団ストーカーたちは明らかに嫌がっているのです。その手ごたえがあるのです。日本にその存在すらない各種権利法に関して発言したときもやはり同じ反応がありました。加害者側へ情にうったえても、一般的な倫理を説いても加害者側は決して聞き入れるような人たちではないことは長年の被害経験によって分かりました。しかしストーカーたちはストーカーができにくくなるような被害者側の立法的活動や政治的活動には非常に敏感であることもまた確かなようです。

 私は政治的な発言は極力控えてきたのですが、直接、集団ストーカーに関わる法律的問題は被害者であるならば、自分の健康状態が許す限りは、むしろ自分の問題として積極的に参加していくのは当然なのではないかとも思い始めました。しかし法律は難しく殆ど分からないことだらけです。これから勉強しなければあまりに多すぎますが、被害者がこの生き地獄から抜け出せる鍵はこの辺にあるような気がしています。

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ストーカー規制強化法(集団ストーカー禁止法)に向けて②

 ストーカーなど男女間のトラブルが殺人事件に発展するケースが相次いだことを受け、警察庁は被害者の身に危機が迫っている場合には被害届が提出されなくても、加害者を障害や暴行の容疑で逮捕するなど、積極的な捜査を行うことを盛り込んだ指針をまとめ、週明けに全国の警察本部に通達する。

 指針は、宮城県石巻市で今年2月、少女(18)が以前交際していた少年らに連れ去られ、少女の姉と友人の女性2人が殺害された事件や、3月に茨城県神栖市で、主婦(36)が、トラック運転手の元夫(40)に殺害された事件など、男女関係のもつれが悪質なつきまといに発展し、警察が相談を受けていながら犯行を未然に阻止することができなかったケースの再発防止策として、警察庁が検討を進めていた。

 石巻市の事件では、加害者の暴力被害について少女が再三、警察に相談していたが、被害届の提出はためらい、提出を決めた翌日に事件が起きていた。

 指針によると、ストーカーや配偶者間暴力(DV)で、被害者がけがを負わされていたり、身に危機が及んでいることが明らかで、殺害などの重大事件に発展しかねない場合には、被害届を受けなくとも、傷害や暴行などの容疑で加害者の逮捕を検討。一方で、加害者に対しても、言い分を聞きながら、加害行為を自覚させてエスカレートしないようにするなど踏み込んだ措置を求めている。

 また、届け出をためらう被害者が少なくないことから、被害者に対し、事態を放置すれば重大事件に発展する可能性を理解してもらい、一時避難する措置を積極的に講ずることも挙げている。

 傷害や暴行などは親告罪ではないため、被害届がなくとも立件できるが、実際の捜査では、被害者の処罰意志の有無が公判の結果を左右することから、検察庁との連携上、被害届を受けることが通例となっている。

                                          MSN
サンケイNEWSより



 前回ブログの発表後、4月17日の新聞に以上のような記事がありました。ストーカーの事件は2月に集中していたので、少し遅れたこの時期に突然警察のストーカー対応の方針転換があるというはちょっと不自然な感じがしました。まるで私のブログに警察が呼応するようなストーカー犯罪に対する警察対応の方針転換のNEWSなのではないかと錯覚しそうになりました。

 確かにこのブログは被害者の方のみならず加害者、傍観者、マスコミ、警察もチェックしていることは間違いなかろうかとは思います。よって、もしかしたらストーカーがこれを契機にストーカー被害がおさまるかもしれない、何故かそんな甘く淡い期待を抱いてしまいました。実際、毎日のように団地周辺に現れていたリサイクル屋の放送や緊急車両のサイレンが静かになりました。外出してもまったくいないというわけではないのですが、工作員の数が激減しました。それが3日ほど続きました。私の前回のブログと警察の方針転換が関係していると直感しました。

 警察の方針には被害者から被害届けがなくとも犯人逮捕を含めたストーカー犯行防止措置講じてくれるとありました。つまり相談や通報を何度もしているが被害届けまで提出できていない私のような被害者も今回の方針転換の対象であると勝手に私は思い込んでしまっていたようです。

 しかし残念ながら、4日目あたりからは再びネット上でも動画や写真でおなじみのゾロメ車両、工作員によるストーカー行為が以前の過酷さにまして再開されました。結果、今回の警察によるストーカー方針転換は恋愛感情を原因とするストーカー被害には適用されるが集団ストーカーの場合は今までどおり相変わらずシカトする、もしくは積極的にその加害者集団側に加担するかのような警察の恐ろしいまでの警察国家意思すら感じました。

 方針転換には配偶者からの暴力(DV)もストーカー行為と同じように被害者から被害届けがなくても介入して未然に犯行を防止するとありましたが、ストーカー犯罪にしろDVにしろ、どうしても警察は恋愛感情を動機とする犯罪に限定したがる向きはかわらないようです。

 (「公権力介入の観点から恋愛感情に関するものに限定する・・・」、とストーカー規制法の概説にありますが恋愛感情というものは自由意志に基づくものです。思想信条の自由と同じようにもっとも公権力介入してはならないものであるはずなのに、犯罪の動機として公権力介入の要件にされるというこは本末転倒にして支離滅裂です。つまりこの醜悪な犯罪の動機がなんであれ、その被害の結果からストーカー犯罪と認定されるべきです。被害者がストーカー被害によって精神的に傷害やトラウマを負ったならば、――犯罪者側の動機が恋愛感情であれ、ただ単に気に入らないという感情であれ、自警団によるよそ者への警戒心であれ、――それは紛れもなくストーカー犯罪被害なのです。殺人事件に恋愛感情による殺人だけが殺人事件であってそれ以外の殺人は事件ではないとすることはないでしょう。殺人事件の動機は恋愛感情はもとより、人間関係、同姓間怨恨、金銭トラブル、近隣騒音、ちょっとした口論、はたまた原因の分からないものまであります。そして動機がどんなものであれすべての殺人は殺人事件として扱われています。さらにいうと個人の事件であるか集団(グループ)の事件であるかも同じです。個人の殺人も集団による殺人も殺人です。単独のストーカーがストーカー犯罪であって集団のストーカー犯罪がストーカー犯罪でないとする警察の姿勢には理論矛盾が多すぎます。ストーカー規制法の切っ掛けであった桶川ストーカー事件はもともと集団(グループ)によるストーカー犯罪だったはずなのではないですか)。


 一連の警察の動きから、私は次のような印象を受けました。警察は非常にストーカー規制改正(強化法)を恐れている、と。だからこそ、警察は被害届けをださない事例でも警察はこれから対応するのだと予防線をはったのです。警察の裁量でこれから被害届けのないものまで逮捕できるというのは、現行のストーカー規制法でもできるということなのでしょう。

 しかし今ある法律は、先にも述べたようにストーカー犯罪の定義がストーカー行為を擁護する一部のひとたちに都合よく限定されてしまったり、最初から集団ストーカーに対してはまったく効力をもち得ないように作られているザル法です。現行のこのザル法の法律的な欠陥や不備を警察の裁量でカバーするというのですから、当然、いままでどおり集団ストーカー被害者の相談もはねつけてしまうこともまたその裁量に含まれてしまうわけです。

 今回、警察によるストーカー犯罪関連の方針転換は、欠陥だらけの現行ストーカー規制法は断固として変えられたくないので単独の恋愛感情にもとづくストーカー行為のほうは今以上に頑張って取り締まると警察が決意表明しているだけのように被害者には映ります。つまり地獄のような集団ストーカー被害から逃れるも追われるも警察の気分次第であるという状況は今後も私の場合は変わりないということなのでしょうか。これだったら東南アジアのどこかの国の市民を自分たちの意のままに統制するための市民弾圧か虐待とさほど違いはないように思いました。そう確信したのは警察が方針転換を行って数日経った後、早速その決意表明の言葉を裏切るような酷いストーカー被害を受けた時でした。

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ストーカー規制強化法(集団ストーカー禁止法)に向けて①

 2000年にストーカー規正法ができたとき、これで集団ストーカーの被害から少しは開放される。と、非常に期待したものでした。そしてこの法律が議員立法だったために当時の政治家の方々に感謝の気持ちでいっぱいでした。加害者が被害者の行く場所ごとに待ち伏せして「仄めかし」する陰湿な行為を何とか禁止しようとした議員さんもあったように記憶しています。

 しかし、実際はまったくストーカー犯罪には機能しないザル法のようなものだったことに唖然としました。常日頃の被害による不安や恐怖の上に、無力感が加わって世の中に対して絶望的になったことを思い出します。これは警察や宗教団体などの抵抗によってストーカー行為が恋愛に関する動機に限定されたたり、集団性ストーカーに関しての規定がはずされてしまったことが大きかったのだと思います。
 
 ある組織にとって都合の悪い法律はその効力が発揮できないように骨抜きにする。このような骨抜き行為は警察や宗教団体が集団ストーカーという犯罪行為を国民の統制などの何かしら目的のために利用していることをまざまざと被害者に見せ付ける行為のように思えました。

 だからといってどこまで被害者は泣き寝入りしてる状態を続けなければならないのでしょうか。そして加害者集団が最終地点として目論(もくろ)むように被害者は自ら望まない疾病や自殺、そして犯罪に追い込まれていかなければならないのでしょうか。

 被害者としてこの過酷な犯罪被害に耐える日常生活で上の工夫、あるいは、うまく被害をかわす自分たちの時間の作り方は非常に大切なことです。そして多くの被害者は現実にやっています。

 しかしそれだけではなく、このストーカー規制法を仮に法律改正(強化)できたとしたら、どのようなところを変えたら集団ストーカー行為がしにくくなるのでしょうか。また集団ストーカー規正法という集団ストーカー行為そのものを規制する法律ができた場合どうように運用したらその効力を発揮するのでしょうか。そしてこの被害者にとっては理不尽な犯罪をついにはやめさせることができるのでしょうか。法律は疎いのですが被害者として当然このようなことは興味あります。

 そこで被害者の方々や見識ある方々へお願いがあるのです。法制定のためのアイデアや草案お願いいたします。あまりに広範で漠然とした人権擁護法案のような法律は本来人権とは無縁の大きな集団や加害者側に悪用される懸念があるため非常に危険だと思います。しかしストーカー規制強化法や集団ストーカー禁止法のように具体的で対象がはっきりした法律はあくまで小さな単位でしかない各々被害者個人やその家族には必要なこと急務な状況、是非ご理解いただきたいのです。

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●桶川女子大生ストーカー殺人事件はストーカー規制法の切っ掛けになりましたが、その法律のほうには集団犯罪であったのににもかかわらずグループや集団単位で行う犯罪の法律的な規定が全く欠落しています。またストーカー犯罪を恋愛に限定しなければならない法的道徳的根拠が不明です。ジョンレノンをはじめ多くの海外有名人のストーカー殺人事件は恋愛感情による理由で殺害されたわけではありません。

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●子供は大人の世界をそのまま模倣しているにすぎません。集団ストーカーが警察の一部、もしくは宗教団体主導で行われているとするなら、そこはは大人の世界のイジメのみならず子供の世界のイジメの総本山ではないでしょうか。少年少女を使った工作員にあうたびに実感することです。

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●2007年に立川署で起きた警官によるストーカー殺人事件は現行のストーカー規制法が個人ストーカー犯罪のレベルでも機能していないことを示していないでしょうか。
 

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議員定数削減はいけません!

国会議員の人員削減に間違っている!!国際比較してみるとむしろ日本の場合は人口比率から言っても増やさないとならない。自分の身を削ることをバナナの叩き売りみたいにやったところで選挙めあての自虐パフォーマンスは見苦しい。本当に国民が必要としている現実的で実のある政治をやってほしい。議員を減らした分、官僚に依存するわけだから、いつまでたっても官僚政治から脱出できやしない。(官僚の番犬のままでいたいと言うなら話は別だ)財政支出の無駄をいうならばまずこの国や公益法人、民間会社にカモフラージュした出先機関の彼方此方に遍在する使途が不明瞭な支出の明細を厳密に洗い出していく努力のほうが先である。

市議会の議員削減状況を見てきたが、少数野党が狙い打ちされて減っていた。犯罪被害者などの弱者や少数意見が封じられる危機感を覚えずにはいられなかった。国民の声を代表するのが議員であって、その数を減らすというのはより国民の多様な意見の代弁手段も同時に減らされていくことに他ならない。巧妙な言論弾圧は言いすぎだとしたら言論抑制であることぐらいはいえるだろう。議員をどこまでも減らした究極の姿は独裁者である。議員はヒトラーひとりで十分になる。人口一億を抱えた国家にはそれなりの議員数がいなければ国民の意思が国政に反映されない。

以下はWikipediaより抜粋です。

国会議員の定数を財政の緊縮化・効率化を理由に議員の定数を削減すべきという議論がある。削減推進派は、1つの根拠としてアメリカ連邦議会の定数が日本の国会より少ないことを挙げているが、道州制から成るアメリカ連邦議会と単純な比較は難しい。アメリカ連邦議会が扱う法案は、州を超えて連邦が管轄する特定の分野のみであり、年間の法案成立数は10件程度と日本の10分の1にも満たないにも関わらず、10件の法案のために400人を超える議員を擁し、さらに一般の法案を扱う州議会に数千人の議員がいる。(つまり日本の衆院議員480人と参院議員242人よりもはるか数十倍の議員がいるということです。)また、イギリスフランスドイツイタリアスペインポーランドなどヨーロッパの国々や、カナダオーストラリアトルコメキシコ韓国などでは、人口に対する議員の割合は日本より多いのが現状である。

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民主主義発展途上段階2

普通ならば任意で事情聴取されるとかプロセスがあるのが今までの礼儀であった。どう考えても代議士の秘書をいきなり逮捕というのは、我々が選んだ議会制民主主義を否定されているような嫌な印象は拭いえない。我々の代表とよりもオウムや過激派扱いだ。

そんな中、またもや信じられない出来事があった。名前を使命してまである議員が任意の出頭を求められたという。これも初めてのことじゃない?選挙が近いというのに、ワザとするのだから、何とえげつない!!!集団ストーカーチィックである。偶然を装ってキャンペーンをする工作員そっくりだ。

ここまで政治というものが完全に馬鹿にされ舐められていいものなのだろうか。いままでになかった検察のやり方に戸惑う。負託関係にある我々の代表が、負託関係に無い強大な力にに潰されていく。民意もまた同じように消されていく。選挙妨害はさることながら、これこそ官僚による選挙活動ではないのか。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/

植草先生はこの件に関して、さすがに詳しく専門的に述べられておられました。

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民主主義発展途上段階

朝から夜まで一日中雨の日。パトカーが赤色灯をまわして帰宅の車で往来激しい道路に停車していた。こちらは自転車。18時に差し掛かる頃、日は暮れて暗くなっているし、パトカーも視界に中に入っているとなると、ライトを付けないとマズイダロウナとは誰でも思う。私も逆らわずに、自転車のライトをつける。すると、ライトを点灯させたことを確認したかのように、途端に走り出した。ああ!また私への待伏せだったわけか。

少し腹がたつが、すぐ消え去るだろう。私も気を切り替えて忘れるようにしよう。雨が降りしきる中、傘を刺しながらモールで買ったを荷物が自転車の籠からあふれでないように気をとられながら家路へ自転車を一生懸命こいでいく。しかしパトカーがまだいる。右折のウインカーだして私がそこへ辿り着くまで待っているように見えた。私が渡るであろう歩道を右折して、道を塞ぐコリジョンキャンペーンするつもりらしい。

これって毎日ゾロメナンバーなどのストーカー車両にやられていることと同じなんだよね。陰湿で執拗なストーカー車両とまったく違うことなくこのパトカーも私に対してやり通した。不必要に車の排ガスを吸わされる。着実に被害者の健康は損なわれていく。この右折するウインカーをだして対象者がパトカーの後ろまで辿り着くまで時間をかせぎ嫌がらせの意思表示をさらにもう一回だめおしに繰り返す。嫌がる相手にこれでもか!と排ガスを吸わせる。私がパトカーの後ろに辿り着く頃、またもや右折して量販店の駐車場に入っていった。これもストーカー車両とまったく同じ動きである。ただただ驚くばかり。

これは警備とか防犯の名目でやっているわけだけど、個人のストーカーがある特定の人間にやったら、完全に犯罪だよね。それだけやられた人は不安や憤りで精神的に消耗するのだから。個人がやったら犯罪で、集団や警察がやったら犯罪にならないというのはどうしても納得がいかない。

直接、この警官やストーカー連中にに聞いてみたとする。「どうしてそのような嫌がらせするのですか?」と。すると、警官やストーカー集団は言うだろう。「タイミングが合ってしまったのは偶然だよ」とか「大丈夫?いい病院紹介してあげるよ」、さらに開き直って「不審者を牽制するのは当然だよ」とか(そもそも買い物籠に荷物いっぱいさげて雨の中いそいそ帰宅する一般人を不審者とするのも無理がある)。

このような彼らの力による理屈で、法律禁じられていることも、負かり通してしまう。前回のブログで集団ストーカーは公務員による禁止されているところの選挙活動をもしているのではないかということを言及した。2個日の丸ステッカーを張った右翼の工作員を公安が利用している事実に耐えかねてのことだった。タイミングを見計らって、野党の党首の秘書を突然逮捕するというのは、この同じストーカー的手法の延長上の一つであるように思えてならないのだ。

政治活動ではない。刑事事件に対しての適正な逮捕だ。ここでも集団ストーカーの正当化と等しく大義名目はある。しかし選挙が近い時に狙って、特定の政党の党首にダメージを与えるというのは紛れもなく選挙活動に思えてしまう。集団ストーカーもこの手の検挙も何かにまたは何かの時期にタイミングをあわせるという相手の神経にさわることを敢えてするところが共通している。与党にも同じような形態の献金を受けている議員がいるのにも拘わらず与党への立ち入りも逮捕もないという今までの日本では考えられない元警察庁長官らしき政府高官の異例の発言がそのことを裏付けしているようでもある。

日の丸2個ステッカーを縦にすると何故か民主党のマークにも似てくる。最初から民主を念頭に発案されたマークにも思えてくる。とすれば、工作員たちはアンチ民主党を触れ回るよう指導されているともとれる。如何せんこれも、選挙活動ではないか。折角、官僚という終身永久議員が懐柔してやっているのだから与党のように言いなりにならないと公認されている政党といえどもオウム教団扱いしてやるぞと言いうつもりなのだろうか。

私は無党派だし無党派であらなければならない特異な境遇にある。政治の話は嫌なのだが加害者たちの挑発にのってまた書いてしまった。特にあのパトカーによるストーカー行為が夢にまでてくる。勿論、悪夢で、PTSDの症状ように寝ている合い間も魘されている。悪夢までみて魘されるとなると、これも立派な暴力だと思うな。よって今回も書き捨て御免なさい!!!

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独り言で呟いてみる

ゾロメ車両十数台、ゾロメ近似値車両十数台とパトカーが交互に眼前通過。空のヘリとパトカーの出現は各々10回前後。合計通過数は100回は越えた。この中でパトカーが一番力を持っているとみるからどこが動かしているか分かりそうだが、無意識のうちに心の中で否定してしまう。「そんなはずはない」と。一人の人間にこんなに莫大な経費掛けられないだろう。だったら多摩地区には他にもかなり潜在的被害者がいるはず。

仮にもし、この財政厳しい中、平気で一人の人間に大枚を費やすような責任者の人相は総監とか長官と呼ばれる人たちになるのだろうか。実験がてら警視総監の名前を呼び捨てにして独り言で呟いてみる。途端にパトカーが目の前に現れる。何度かこれを繰り返す。何度やってもパトカーが出現する。これで決まり!単純明快だ。私の場合、公権力が集団ストーカーの司令塔にある。幻覚ならば有難いのだが、ビデオにはしっかりと映っている。この横暴(パトカーの特定対象者周辺の横行のことだけだが)にかつて市会議員のAさんも面食らったと写真入で報告されていた記憶している。15年前出された書名「人を幸福にしない日本というシステム」がそのままに未だに続いていることは確かなよう。

悲しいかな帰宅最後の最後まで。本日10回目の最後のパトカーが赤色あげながら横断歩道で信号待ちぶせしている。Uターン禁止区域で突然本部から事件発生連絡が入ったかのように危険なUターン発進する芝居を見せ付けられると、権力の私物化に市民の無力さを感じざるをえない。本当の犯罪現場への出動かチェックのしようも無い。

公権力集団ストカーされた被害者は、後々の精神的トラウマが心配なところ。心の暴力は、傷ぐらいではすまない気がする。殺戮されていくといった表現がしっくりくる。個人が有するモラルも常識的な価値観も人間性も感情も心も惨殺されていく。

C60

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裁判員制度は大丈夫?

雨の降りしきる中、

車の盗難防止用緊急警報装置のけたたましい音が団地に響き渡る。

車止めがあって車両は入れない時間帯、

車は一台もなく、中年作業員風の男が一人団地の玄関前のみ。

小型の警報装置を手に抱えて鳴らしている不思議な光景。

いかにもアンカリングという感じ。

何度もしつこくやるので

しばらく観察していると5階の自分の部屋へ警報装置ごと入っていった。

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団地一戸あたり100世帯は入っているので

ベランダ側かわ玄関側から200世帯の

窓のカーテンが開いては視線が一斉に集まる

その視線に耐えられる神経というのはどういうものなのだろうか

恥知らずというか変質者というか

とても普通の神経はしているようには思えない。

工作員だから、ここには長くいるつもりはないらしい。

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それにしてもこの団地には工作員が多い

専用の自転車置き場にゾロメナンバーのバイクが2台

引越しする前から配備されていた。

目にするのもいやだからそこの自転車置き場には自転車を置いていない。

自治会の女事務員も工作員だった。

(挨拶まわりに行った時、私と同じ服装に攻撃用Tシャツを着込んで待っていたのだ)

そこで、団地に工作員が優先して入れる仕組みがあるのだろうかと

ちょっと公平性について疑問を感じることがある。

ゾロメナンバーは優先してして工作員に配られていることは

それらの車両にストーカーされるという精神暴力によって

私が否が応でも思い知らされていることでもある。

(たしかに団地に当選できただけでも感謝しなくてはならないけど・・・)

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それに関連付けて思うことが最近のよく話題にされる裁判員制度というもの。

裁判員制度に選ばれる基準は、はたして公平なのだろうかとふと考える。

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裁判員になるすすんで出廷する堅気の市民は多いようには思えないのだ

ゾロメナンバープレートを優先して配布される工作員と同じく

時間と暇を弄んでいる工作員が率先して選ばれる可能性は

高くなるのではないだろうか?

と、どうしても穿った見方をしてしまう。

特に国よりや大きな組織よりの判決を求める裁判では、

工作員が優先して選定されてしまう気がしてならない。

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工作員は買収する必要がない。

すでに買収されて腐った人間(ゾンビ)が工作員となっている。

集団ストーカーの裁判が将来にあって(もう始まっている)

裁判員に選ばれた人間がすべて工作員ということだってあり得る。

ゾッとするけど

アル・カポネの時代にはマフィアに全員買収された陪審員が現実にあったそうだから。

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