捏造文化「恵方巻き」の歴史
捏造文化「恵方巻の歴史」
「恵方巻き」発祥は江戸後期大阪花街での卑猥な芸者遊び(上方落語「遊山船」に詳細描写)
1932年「幸運海苔巻き」(恵方巻の前身)一般に普及させるための大阪鮨商会販売運動の最古広告
1970年代大阪海苔問屋協同組合が道頓堀のイベントで復活(朝鮮にまで海苔普及運動)。広告効果で節分に太巻き食べる習慣が大阪一部に定着
1989年大阪で節分に海苔巻きを食べる習慣があると聞きつけた広島のセブンイレブンが「恵方巻き」と命名。(『広島』の部分の信憑性怪しい)
1998年「イオンの恵方巻」としてイオンが便乗。セブンイレブンとともに全国展開
2001年頃からTV電通が「恵方」(えびす隠喩)「丸かぶり」(男性性器隠喩)の言葉に梃入れで全国普及(最近のメディアってなんだかキナ臭いというか××カルト臭い)
(↑売り出されている巻き寿司の事情が正直に書かれた“大阪鮨商組合”の昭和7年の最初のチラシ《上》と、同組合が看板の不都合な部分を消して組合員用に作った昭和15年のチラシ《下》)
巻き寿司発祥は関西ではなく関東の江戸(1795年(寛政7)江戸料理本『萬寶料理秘密箱』に初見)。上方落語「遊山船」の話に描写されている時代以前に「恵方巻」の習慣はありませんでしたし、ここの大阪花街以外にも特定の行事に巻き寿司を丸カブリする習慣も存在しませんでした(韓国巻きずし”キンパ”は日韓併合のあと)。花街で流行った巻きずしの大胆な食べ方の背景として江戸(恵方)から入って来た「巻き寿司」という新しい食べ物文化への皮肉や揶揄もあったと思います。関東には節分に豆のほかにこんにゃくやけんちん汁を食べる習慣ありますしそろぞれの地域で継承してきた節分の文化や習慣を大切にしたいものです。コンス(韓国式お辞儀)もそうですが大企業や電通に文化や習慣までも彼らの都合で人為的に操作や画一化され長い歴史をほこる日本の文化・習慣が変えられてしまうのは悲しいことです。
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