ストーカー規制強化法(集団ストーカー禁止法)に向けて③
今日、「子供の日」はゾロメ車両が殆どありませんでした。リサイクル屋のスピーカーによる騒音凱旋もありませんでした。しかし全く被害がないということではありませんでした。スーパーに日用品を買いにいったのですが、自転車を停めてあったスーパーの駐輪場に戻ってみると自転車の鍵が開かれていました。4桁の数字をあわせるチェーンのやつなのですが、確かに鍵を閉めて店内に入った記憶があったものの開けられた鍵は自転車の籠(かご)の中にちゃんと入っていたので不審に思いながらも家に戻りました。
家に戻ると間髪を置かずにすぐさまスパーへまた向かいました。買ってきた日用品の荷物が多くなったので、荷物をいったん家に持ってきて再び不足分の食料品の買出しに向かったわけです。先程気持ち悪いことがあったので、駐輪場では今度はしっかりと自転車の鍵を掛けました。店内では工作員は少なめでした。しかしレジのところではまた黒服青ジーンズの複数の工作員にタイミングを合わせられてうんざりしました。いつものことですがレジに並んだとき工作員が後ろにべったりつきます。もしくはわざわざ同じ台にやってきて買ったものを目の前で詰めようとするのです。この手のシャドーイング(付き纏まとい)は毎度頭にきます。カッカしながらスーパー前の駐輪場に帰ってきましたが恐ろしい偶然はまだまだ続きます。
自転車の籠に荷物を置こうとすると、目の前の光景にたちすくみました。なんとまた鍵がまた籠(かご)の中に入っているではないですか。工作員が閉めたはずの自転車の鍵が開けられて籠(かご)の中に入れていったのだとすぐに判断はつきました。なにせこれで100回目ぐらいやられてますでしょうか。「またか!」。気持ち悪いには気持ち悪いです。鍵をいくら変えても4桁の番号は工作員連中には筒抜けということをも意味するので、「気持ち悪い」というよりは、「怖い」ことには間違いありません。でも自転車を壊されたこともあるので、それよりはまだましでしょうか。壊されたときは被害届けはもちろん出しました。しかし、この鍵を開けて何もしないと被害は、なかなか被害を警察に届けにくいですよね。
なぜか私の場合は「家宅侵入」が殆どありません。(何故かというと私にはメディア被害もあるからだと考えています。メディアは私の家に出入りする人物をオンタイムに把握しています。幸か不幸かメディアがわが家を監視してくれている状態は、本家ストーカー集団の工作員がなかなか私の家には手を出しにくい状況をつくっているようなのです) ですから私には家宅侵入の被害がない分、野外でのこのような自転車の悪戯(いたづら)などが家宅侵入被害のある他の被害者の方々よりも必然的に増えるのだと思っています。
さて自転車の鍵への悪戯(いたずら)で切れそうになった感情のまま買い物かごに荷物をいっぱい積んで自転車をこぎだして道路にでますと、今度はパトカーがサイレンは鳴らさずに赤色燈をまわして目の前を通過して行きました。これも「偶然を装った嫌がらせっぽい」ですね。
しばらく自転車をこいでいると、案の定、同じパトカーが私の家の前の別の通りに先回りして待ち伏せしていました。もちろんいつも通っているルートです。これも加害者側に言わせるとあくまで「偶然」であるようです。殆ど毎日起こる不思議な「偶然」です。因みに反義語は「必然」です。被害者はこのことを「故意」と別な表現をします。
警官はドライバーの一名のみでした。職務中の警官は無線連絡が一般的ですが、この警官はうつむいていて携帯のメール画面を見つめていました。その姿(ポーズ)はまるで工作員の中学生そっくりだったのには驚きました。こちらのほうの光景は先程の自転車の鍵への悪戯よりも数倍も気持ち悪かったです。
ところでタイトルのほうに戻ります。ストーカー規制法改正です。被害者と全く面識のない加害者(工作員)が偶然を装って行うストーカー犯罪にどうやって網を掛けることができるかということがポイントなのかなと思いました。それには外国の組織犯罪関連の法律や参考になるような気がしています。
具体的に言いますとある外国のマフィアがその国の市民を脅迫するとき、マフィア本人がその市民の前に直接姿を表して脅すことは稀だと思うのです。手先を使って、足の付かない脅し方をするのが映画やドキュメンタリーで知りうるところです。集団ストーカー犯罪に置き換えると「手先」は「工作員」。「足の付かない」は「偶然を装う」ですね。もしそのようなマフィアによる巧妙な脅迫を取り締まる法律がどこかの国に存在しているならそのまま日本の集団ストーカーの「仄めかし」や「シャドーイング」犯罪の取り締まりにそのまま転用できるのでないだろうかと思いました。
どんな犯罪でもそうですが、その手口は年を追って悪質、巧妙化していきます。それを取り締まる法律も対応していくべきだし、実際犯罪の進度によって法律も対応させていっています。「立川署警官ストーカー殺人事件」に代表されるように、日本のストーカー規制法が最初から機能しない愚劣な法律ならばなおさらその法律が機能するように改正するのはごく自然なことです。
実はストーカー規制法改正をブログで言ってから多少集団ストーカーの動向に変化があります。集団ストーカーたちは明らかに嫌がっているのです。その手ごたえがあるのです。日本にその存在すらない各種権利法に関して発言したときもやはり同じ反応がありました。加害者側へ情にうったえても、一般的な倫理を説いても加害者側は決して聞き入れるような人たちではないことは長年の被害経験によって分かりました。しかしストーカーたちはストーカーができにくくなるような被害者側の立法的活動や政治的活動には非常に敏感であることもまた確かなようです。
私は政治的な発言は極力控えてきたのですが、直接、集団ストーカーに関わる法律的問題は被害者であるならば、自分の健康状態が許す限りは、むしろ自分の問題として積極的に参加していくのは当然なのではないかとも思い始めました。しかし法律は難しく殆ど分からないことだらけです。これから勉強しなければあまりに多すぎますが、被害者がこの生き地獄から抜け出せる鍵はこの辺にあるような気がしています。
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コメント
自分も毎日ずっと隣室からストーカーされ(ネット盗視、盗撮などをされ、犯人はずっと隣室にいて自分をストーカーしています)本当に苦しくて辛いです。
投稿: 隣室、集団ストーカー被害者 | 2010年5月15日 (土) 11時54分