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2010年4月

ストーカー規制強化法(集団ストーカー禁止法)に向けて②

 ストーカーなど男女間のトラブルが殺人事件に発展するケースが相次いだことを受け、警察庁は被害者の身に危機が迫っている場合には被害届が提出されなくても、加害者を障害や暴行の容疑で逮捕するなど、積極的な捜査を行うことを盛り込んだ指針をまとめ、週明けに全国の警察本部に通達する。

 指針は、宮城県石巻市で今年2月、少女(18)が以前交際していた少年らに連れ去られ、少女の姉と友人の女性2人が殺害された事件や、3月に茨城県神栖市で、主婦(36)が、トラック運転手の元夫(40)に殺害された事件など、男女関係のもつれが悪質なつきまといに発展し、警察が相談を受けていながら犯行を未然に阻止することができなかったケースの再発防止策として、警察庁が検討を進めていた。

 石巻市の事件では、加害者の暴力被害について少女が再三、警察に相談していたが、被害届の提出はためらい、提出を決めた翌日に事件が起きていた。

 指針によると、ストーカーや配偶者間暴力(DV)で、被害者がけがを負わされていたり、身に危機が及んでいることが明らかで、殺害などの重大事件に発展しかねない場合には、被害届を受けなくとも、傷害や暴行などの容疑で加害者の逮捕を検討。一方で、加害者に対しても、言い分を聞きながら、加害行為を自覚させてエスカレートしないようにするなど踏み込んだ措置を求めている。

 また、届け出をためらう被害者が少なくないことから、被害者に対し、事態を放置すれば重大事件に発展する可能性を理解してもらい、一時避難する措置を積極的に講ずることも挙げている。

 傷害や暴行などは親告罪ではないため、被害届がなくとも立件できるが、実際の捜査では、被害者の処罰意志の有無が公判の結果を左右することから、検察庁との連携上、被害届を受けることが通例となっている。

                                          MSN
サンケイNEWSより



 前回ブログの発表後、4月17日の新聞に以上のような記事がありました。ストーカーの事件は2月に集中していたので、少し遅れたこの時期に突然警察のストーカー対応の方針転換があるというはちょっと不自然な感じがしました。まるで私のブログに警察が呼応するようなストーカー犯罪に対する警察対応の方針転換のNEWSなのではないかと錯覚しそうになりました。

 確かにこのブログは被害者の方のみならず加害者、傍観者、マスコミ、警察もチェックしていることは間違いなかろうかとは思います。よって、もしかしたらストーカーがこれを契機にストーカー被害がおさまるかもしれない、何故かそんな甘く淡い期待を抱いてしまいました。実際、毎日のように団地周辺に現れていたリサイクル屋の放送や緊急車両のサイレンが静かになりました。外出してもまったくいないというわけではないのですが、工作員の数が激減しました。それが3日ほど続きました。私の前回のブログと警察の方針転換が関係していると直感しました。

 警察の方針には被害者から被害届けがなくとも犯人逮捕を含めたストーカー犯行防止措置講じてくれるとありました。つまり相談や通報を何度もしているが被害届けまで提出できていない私のような被害者も今回の方針転換の対象であると勝手に私は思い込んでしまっていたようです。

 しかし残念ながら、4日目あたりからは再びネット上でも動画や写真でおなじみのゾロメ車両、工作員によるストーカー行為が以前の過酷さにまして再開されました。結果、今回の警察によるストーカー方針転換は恋愛感情を原因とするストーカー被害には適用されるが集団ストーカーの場合は今までどおり相変わらずシカトする、もしくは積極的にその加害者集団側に加担するかのような警察の恐ろしいまでの警察国家意思すら感じました。

 方針転換には配偶者からの暴力(DV)もストーカー行為と同じように被害者から被害届けがなくても介入して未然に犯行を防止するとありましたが、ストーカー犯罪にしろDVにしろ、どうしても警察は恋愛感情を動機とする犯罪に限定したがる向きはかわらないようです。

 (「公権力介入の観点から恋愛感情に関するものに限定する・・・」、とストーカー規制法の概説にありますが恋愛感情というものは自由意志に基づくものです。思想信条の自由と同じようにもっとも公権力介入してはならないものであるはずなのに、犯罪の動機として公権力介入の要件にされるというこは本末転倒にして支離滅裂です。つまりこの醜悪な犯罪の動機がなんであれ、その被害の結果からストーカー犯罪と認定されるべきです。被害者がストーカー被害によって精神的に傷害やトラウマを負ったならば、――犯罪者側の動機が恋愛感情であれ、ただ単に気に入らないという感情であれ、自警団によるよそ者への警戒心であれ、――それは紛れもなくストーカー犯罪被害なのです。殺人事件に恋愛感情による殺人だけが殺人事件であってそれ以外の殺人は事件ではないとすることはないでしょう。殺人事件の動機は恋愛感情はもとより、人間関係、同姓間怨恨、金銭トラブル、近隣騒音、ちょっとした口論、はたまた原因の分からないものまであります。そして動機がどんなものであれすべての殺人は殺人事件として扱われています。さらにいうと個人の事件であるか集団(グループ)の事件であるかも同じです。個人の殺人も集団による殺人も殺人です。単独のストーカーがストーカー犯罪であって集団のストーカー犯罪がストーカー犯罪でないとする警察の姿勢には理論矛盾が多すぎます。ストーカー規制法の切っ掛けであった桶川ストーカー事件はもともと集団(グループ)によるストーカー犯罪だったはずなのではないですか)。


 一連の警察の動きから、私は次のような印象を受けました。警察は非常にストーカー規制改正(強化法)を恐れている、と。だからこそ、警察は被害届けをださない事例でも警察はこれから対応するのだと予防線をはったのです。警察の裁量でこれから被害届けのないものまで逮捕できるというのは、現行のストーカー規制法でもできるということなのでしょう。

 しかし今ある法律は、先にも述べたようにストーカー犯罪の定義がストーカー行為を擁護する一部のひとたちに都合よく限定されてしまったり、最初から集団ストーカーに対してはまったく効力をもち得ないように作られているザル法です。現行のこのザル法の法律的な欠陥や不備を警察の裁量でカバーするというのですから、当然、いままでどおり集団ストーカー被害者の相談もはねつけてしまうこともまたその裁量に含まれてしまうわけです。

 今回、警察によるストーカー犯罪関連の方針転換は、欠陥だらけの現行ストーカー規制法は断固として変えられたくないので単独の恋愛感情にもとづくストーカー行為のほうは今以上に頑張って取り締まると警察が決意表明しているだけのように被害者には映ります。つまり地獄のような集団ストーカー被害から逃れるも追われるも警察の気分次第であるという状況は今後も私の場合は変わりないということなのでしょうか。これだったら東南アジアのどこかの国の市民を自分たちの意のままに統制するための市民弾圧か虐待とさほど違いはないように思いました。そう確信したのは警察が方針転換を行って数日経った後、早速その決意表明の言葉を裏切るような酷いストーカー被害を受けた時でした。

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ストーカー規制強化法(集団ストーカー禁止法)に向けて①

 2000年にストーカー規正法ができたとき、これで集団ストーカーの被害から少しは開放される。と、非常に期待したものでした。そしてこの法律が議員立法だったために当時の政治家の方々に感謝の気持ちでいっぱいでした。加害者が被害者の行く場所ごとに待ち伏せして「仄めかし」する陰湿な行為を何とか禁止しようとした議員さんもあったように記憶しています。

 しかし、実際はまったくストーカー犯罪には機能しないザル法のようなものだったことに唖然としました。常日頃の被害による不安や恐怖の上に、無力感が加わって世の中に対して絶望的になったことを思い出します。これは警察や宗教団体などの抵抗によってストーカー行為が恋愛に関する動機に限定されたたり、集団性ストーカーに関しての規定がはずされてしまったことが大きかったのだと思います。
 
 ある組織にとって都合の悪い法律はその効力が発揮できないように骨抜きにする。このような骨抜き行為は警察や宗教団体が集団ストーカーという犯罪行為を国民の統制などの何かしら目的のために利用していることをまざまざと被害者に見せ付ける行為のように思えました。

 だからといってどこまで被害者は泣き寝入りしてる状態を続けなければならないのでしょうか。そして加害者集団が最終地点として目論(もくろ)むように被害者は自ら望まない疾病や自殺、そして犯罪に追い込まれていかなければならないのでしょうか。

 被害者としてこの過酷な犯罪被害に耐える日常生活で上の工夫、あるいは、うまく被害をかわす自分たちの時間の作り方は非常に大切なことです。そして多くの被害者は現実にやっています。

 しかしそれだけではなく、このストーカー規制法を仮に法律改正(強化)できたとしたら、どのようなところを変えたら集団ストーカー行為がしにくくなるのでしょうか。また集団ストーカー規正法という集団ストーカー行為そのものを規制する法律ができた場合どうように運用したらその効力を発揮するのでしょうか。そしてこの被害者にとっては理不尽な犯罪をついにはやめさせることができるのでしょうか。法律は疎いのですが被害者として当然このようなことは興味あります。

 そこで被害者の方々や見識ある方々へお願いがあるのです。法制定のためのアイデアや草案お願いいたします。あまりに広範で漠然とした人権擁護法案のような法律は本来人権とは無縁の大きな集団や加害者側に悪用される懸念があるため非常に危険だと思います。しかしストーカー規制強化法や集団ストーカー禁止法のように具体的で対象がはっきりした法律はあくまで小さな単位でしかない各々被害者個人やその家族には必要なこと急務な状況、是非ご理解いただきたいのです。

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●桶川女子大生ストーカー殺人事件はストーカー規制法の切っ掛けになりましたが、その法律のほうには集団犯罪であったのににもかかわらずグループや集団単位で行う犯罪の法律的な規定が全く欠落しています。またストーカー犯罪を恋愛に限定しなければならない法的道徳的根拠が不明です。ジョンレノンをはじめ多くの海外有名人のストーカー殺人事件は恋愛感情による理由で殺害されたわけではありません。

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●子供は大人の世界をそのまま模倣しているにすぎません。集団ストーカーが警察の一部、もしくは宗教団体主導で行われているとするなら、そこはは大人の世界のイジメのみならず子供の世界のイジメの総本山ではないでしょうか。少年少女を使った工作員にあうたびに実感することです。

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●2007年に立川署で起きた警官によるストーカー殺人事件は現行のストーカー規制法が個人ストーカー犯罪のレベルでも機能していないことを示していないでしょうか。
 

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「間違い電話」を装う「嫌がらせ電話」

3月18日にストーカーからかかってきた電話が私の携帯の着信暦に残っていた。ストーカーは数分後、再び掛けてきては伝言メモにその肉声まで残していった。20才台の男だった。犯罪者が自ら進んで証拠まで残していくというのはかなりの開き直りである。このストーカーの電話番号もいままで見たことのない数の配列で被害者を惑わそうとする魂胆がすぐに分かった。

このストーカーの番号は普通の電話番号の下に、さらに2桁余分な番号が付いている。たとえば、仮のストーカーの発信元の電話番号を挙げて説明してみると、03-3992-1155をストーカーの電話番号とするならば、その03-3992-1155という番号の下に*11という番号が付いている。つまり03-3992-1155*11という番号が着信に残っているのだ。なんとも不可思議な番号だ。

この番号の03-3992-1155という上のほうを着信拒否してもまた嫌がらせの電話がかかってきた。着信拒否をするには03-3992-1155*11と下の数字まで拒否しなければまたかかってきてしまう。しかしこの番号で着信拒否できたとしても、下の2桁だけを*12、*13と次々を変えて掛けられればまたつながってしまう。

こうして実際03-3992-1155*12、03-3992-1155*13、03-3992-1155*14と嫌がらせ電話が掛かってくるたびに私は着信拒否するのだが、またストーカーに同じ番号の下の2桁だけをかえられて電話をされてしまうというイタチゴッコがしばらく続いた。

こちらが着信拒否しているわけだから同じ番号でかけたときはこちらが設定した拒絶のアナウンスは加害者側は聞いているはずだ。拒絶の意思表示は十二分に伝わっているのもかかわらず加害者は何度も何度も確信犯で執拗にかけてくるのには本当に腹が立った。それ以上にこの犯罪者に恐ろしくなった。ストーカー犯罪者によるあからさまな嫌がらせ電話によって被害者の私の
日常生活は電話のたびに中断させられた。そしてパニックになった。無視してばかりいても一向にやめようとはしないので、このようなストーカー犯罪者とは口も聞きたくないのだが、再び掛かってきたストーカーの電話に出てこちらも一言(ひとこと)言わざるを得ない状況を迎えた。

ストーカーは架空の建設会社の名前を挙げて私の電話番号がその建設会社の番号ではないかと聞いてきた。私には間違ってかけたのだという芝居をしたかったようだ。しかし携帯電話の番号を建設会社の代表にしている会社はきいたこともない。着信拒否しても番号をかえて掛け続ける異常な行為はどう説明するつもりなのか。携帯に何度も拒絶されれば建設会社の固定電話のほうに掛け直してもう携帯にはかけないだろう。

さらに携帯ならば建設会社の所属する社員の個人名で呼びかけてくるはずなのに、個人名による呼びかけもまったくないのはどうしたものなのだろうか。しかもこのストーカーと同一人物の声の主による伝言メモに残っていた前回の内容は建設会社とはまったく無縁の内容だった。支離滅裂で白々しい嘘八百並びたてる加害者との会話はこちらの恐怖や怒りを抑えるのにやっとだった。

NTTに上の電話番号を一回着信拒否したら下の*以降の2桁の数字が何であろうがすべて着信拒否できないものか相談してみた。そうしたらNTTの職員もこのようなケースははじめてであり今まで扱ったことがない珍しいケースだという。地元警察の安全課にもついでに電話をいれた。ここの年配のお巡りさん経由でNTTに聞いてもらったが、*という番号からしてパソコンを使った詐欺などにありそうな感じではあるが、やはりNNT職員の反応は私が直接NTTに聞いたときと同じもので珍しいケースで聞いたことがないという。

お巡りさんも電話だけだと信じられないから、そのストーカーから掛かってきたという着信暦や被害資料をもって一度安全課のほうに来てくれという。(被害者の間では)今話題の「安全課」に行くとなるわけだから、なんだかちょっと億劫(おっくう)。引越ししてからはまだ安全課には行っていないのでやはり一度行かなきゃならないのかな。以前住んでいたところで何度も相談したのだけれども・・・。正直いって複雑な心持。

C001b

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休止命令

 3月25日。木曜日。この日はストーカー車両もストーカー人員も全くなし。珍しい日。昨年の衆議院選挙戦以来半年ぶりに訪れた平和。一番驚いたのがスーパーへ行く道を横断する車がまったく来ないこと。私が外出するときはどんな時間帯でも交差点に4,5台の車は必ず横切っていくか、信号待ちでとまっているかのどちらかが必ずある。後ろから忍び寄る車両。正面からくる車両があることはいうまでもなく。私のいくところ車が全く視覚に入らないということは殆どない。

 しかし、この日は信号で待つ車両どころかスーパーへ行く道を横切っていく車がほとんど来なかった。時間はまだ19時かそこいらだったから、深夜でなくても一般の人にも日常生活のなかではたまにこんな車の往来がパタンと途切れる日もあるのだろうな。ということをあらためて気づかされた。またかつて自分もこんな穏やかな日があったのだなあ。と今更思いかえすことができた。一般の人たちはストーカー連中に煩わされることなくこのような静かさの中で穏やかに過ごしているのだなあ。と思うと一般の人たちが途端に羨ましくなった。

 一体全体、どうして今日はストーカー行為をされなかったのだろか。選挙で政権交代が起きたわけでもないのに。第二弾の仕分け作業が始まるというので今日だけは大人しくするということなのだろうか。まあ、いい。半年ぶりに訪れたほんのひと時の平和に感謝しよう。

 (プロ野球が始まるから、野球の関係でストーカーたちが態勢を整えていることもありそうだ。ここ数年、プロ野球の勝敗にかなりストーカー行為を無理やり関連付けている傾向がある。オカルトまで持ち出してこないと自分たちの犯罪行為を正当化できないという犯罪加害者側の厳しい事情があることは以前にも何度も書いたとおりなのです。)

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