犯罪は集団によって造られる4
洗濯物のシーツを取り込もうとベランダにでると、突然、自衛隊か警察のヘリが現れた。団地の建物が40棟も立ち並ぶ中、何故か私が今いるベランダの真正面から近づいてきた。凄まじい音をたてながら突っ込んでくるといったほうがより適切な表現であろうか。恐ろしく低飛行なのでパイロットの表情すらも見えた。不安と怒りが入り混じった非常に不快な気持ちになって、シーツを取り込む手がとまった。ヘリは私の真上を通過していった。髪の毛がヘリのプロペラの風圧で乱れそうになった。あっという間の出来事だった。写真を写す間もなかった。どこかで私がベランダにでてくるの息を殺してヘリは待っていた。そんな悪意に満ちた計画性を感じた。それは行く先行く先の交差点で偶然を装って待ち伏せするゾロメ車両のストーカーたちと全く同じ意識に思えた。全く同じ悪意だった。
一時間ほど前に小学校の子供2名で母親を呼ぶ声があった。「××ママ!!」。意味はよく分からなかったが、非常に芝居臭いものだった。ちょうど学校の終了時に防犯アナウンスとほぼ同時だったこともあったので、工作員の子供によるノイズキャンペーンやストリートキャンペーンの類(たぐい)に思えた。そのような時に私はベランダの外に出てどのような工作員か確認するときがあった。もしかしたらそのベランダに出る行動を期待してヘリを出現させる嫌がらせをセットで企てていたのではないかったか?とふと考えた。そうなるとちょっとしたコインテルプロである。その合間ヘリはどこかで時間をつぶしていた。だから時間は違うがベランダに私が出たときすぐに目の前にヘリを出現させることができた。
確かにくだらない嫌がらせにしては大掛かりで手が込んでいる。「まさか!」。頭を何度もふって、常軌を逸したような考えを否定してみる。しかし殆どこのような努力は徒労に終わる。車両や工作員を使ったそのような嫌がらせは私は何千回、何万回と体験しているからだ。その数千回分の労力と経費をに集約してやってみたらヘリを使ってやることだってできるに違いない。だから今回もやはりにたようなコインテルプロなのだろう。そう思ったほうが精神衛生的にはいいときが多いのだ。つまりは現実としては受け入れがたい事象を頭の中で情報処理するときに余計な葛藤しなくてすむ。というわけなのだ。
ところで少なくともこのヘリのパイロットとその上官は特定の国民へのストーカー行為であることを認識しているはずだ。そして仮に被害者に訴えられた際にはそのようなストーカー行為や嫌がらせでやったものではないと当然のように否定する。確かに痴漢は自らの痴漢行為を認めることはしないだろう。国民の税金を投入した組織犯罪ならばなおさらしらをきる。この不当な行為を世の中に認知されている正当な業務で摩り替えてしまう虚偽性、それをそこに関わる集団ひとりひとりに周知させる組織性に関して言えばヤクザも等しいのだと思う。
私はこれほどの悪党や悪人がこの世に存在するとは思わなかった。このヤクザ集団は監視も警戒も及ばない国の権力構造のなかにいて、まったく咎められることもなく取り締まるなんら手立てもなくそのままに放置されている。ときとして今回のように国所有の兵器やヘリコプターを使用してまで国民を威嚇する。ヤクザをも凌ぐ最悪の悪党集団でなければこの集団ストーカーという大きな犯罪はこなしきれるものではない。それはどんなに非人道的で反社会的なものであれそれ以上咎めるものがない公権力を背景とすることで可能となるのだと思う。
今回ベランダに出た私に対して行われた嫌がらせは小さなコインテルプロであった。が、しかしもっと大掛かりに行われたコインテルプロの場合はどうなるのだろう。彼らストーカーたちは個人データは余すところなく活用できる環境にあることだから、切れやすい人物を「対象者」(TI)として選ぶことは容易い。小さな一個人はこの恐ろしいほど情報網と技術をもった巨大な集団に目をつけられたらひとたまりもない。もしターゲットとなった一個人がこの巨大な犯罪集団の意のままに追い詰められて犯罪に走ったとしても防ぎようがないようにも思える。
特に「対象者」が集団ストーカー被害の初期段階ではその現実離れした被害からいって自らを「被害者」と気が付くことは非常に難しいとするならば、あたかも催眠術のように加害者集団の思い描く特定の犯罪へと導かれていくのではないだろうか。(私自身が最初集団ストーカー被害であることに気が付くのになんと6ヶ月もかかった)。
秋葉原に監視カメラを設置するニュース、また加藤被告の公判での謝罪の言葉をニュースで聞きながら、この事件が本格的なコインテルプロやMKウルトラではなかったのかと、被害者なりの疑念がよぎる。誰かのあてつけのためにこうして殺人マシーンが選定さされ、養成され、そして謀られたということもあり得たのではないか?どうしても私はこのような穿った見方から逃れられないでいる。(私自身が毎日コインテルプロの被害にあっているからこのような主観は仕方がない)。いやそこまでの計画性はなく私が日常的に受け続けている小さなコインテルプロのレベルであったのかもしれない。もしかりに初期的な僅かな期間だけで私と同様なコインテルプロが加藤被告に対しても行われていたとしても、やはり特定の犯罪への誘導があったと考えるべきである。
それはただたんに集団ストーカーが対象者を追い詰めて犯罪を誘発させるという集団ストーカー本来の目的に合致しているためだけではない。事件当日、数百キロ離れた現場には事件が起こることを予想して何十人という公安警察及びその関係者が何時間も前からこの場所に待機していたという揺るぎのない事実からもうかがえる。―――それどころか一部のマスコミまで呼び寄せてこれから行われるだろ事件の現場にあらかじめ放送取材機器とスタッフを陣取らせ、殺人犯と殺されいく被害者の方々の人生をワイドショウの見世物(みせもの)にしたという明らかな痕跡は一体どう説明するのだろうか。
「加藤はこれから絶対に通り魔殺人をやる!」そんな絶対的な確信がなければ事件が起きるはるか以前から公安、公安協力員、そしてマスコミと、これだけの多くの人員は集まらなかっただろう。その確信はどうやってできたのであろうか?加藤になにかしら嗾(けしか)けてきた加害者側が他の何千という集団ストーカー行為で培ってきた経験や自信がそこにあったのではなかったかと考えている。―――MKウルトラ―――。もしそうだったならばTI(被害者)がつぎにどんな行動を起こすものかは加害者側が予測できて当たり前であろう。
「そのことはもう言いなさんな!」と。現場に張り込みをしていた一部マスコミからは脅しともとれるメディア攻撃が未だに私に対してある。盗聴行為によってTV局と私的な部屋を強制的に結びつけている双方向状態。その条件の下でのマスコミから特定視聴者への干渉。何にもましてこのことは加藤被告が大きな力によって本人も意図しないうちに特定の方向へ導かれていったのではないかと確信に近いものを私に抱かせる。
注釈:
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