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視聴者へのアンカリング6

平井堅の曲をつかったTVからのアンカリングは10年前にさかのぼる。10年前の土曜日のある日、TBSラジオをし始めたとき同じように平井堅の曲でアンカリングされた。最初はちょっとしたイジメぐらいに思って他のラジオ局にチャンネルかえた。数十分後、再びTBSラジオに 再び入ったとき(視聴し始めたとき)また同じように番組が中断して平井堅の曲が掛けられた。さっと今度はラジオのスイッチを切って数分後、何を思ったかやめればいいものを再びスイッチをつけてTBSにチャンネルをあわせた。「ここで曲をお聞きください。」とアナウンサーの声でやはり番組が中断し、同じ曲がかけられる。これがラジオのチャンネルがTBSに入るたびに繰り返された。

そしてそんな執拗なまでの繰り返しで僅か3時間の番組の合間にラジオを視聴し始めるたびに5、6回、7回と連続同じ曲 を聞かせられて、結果として私は平井堅の曲に、もしくは似たような邦楽を耳にしたとたん瞬時にヒステリーとアレルギーを起こすようになってしまった。そしてついにはTBSラジオの視聴をあきらめざるを得ない侮辱ともなっていった。そしてそれはトラウマとしていまだに心の痛手である。

ひょっとしたら映像や音楽、言葉を使って視聴者の精神を破壊するようなプログラムや歴史があるのかもしれない。コインテルプロのような心理学を悪用した技術は警察や軍隊のだけではなくマスコミの間ににも存在するのではないだろうか。そのようにさえ思った。疑心暗鬼にもなった。今回元旦の生番組で十年前の攻撃を数秒仕掛けられただけで、そのときの辛い体験がまた蘇ってきてはそのときと全く同じ精神的状況に瞬時のうちに舞い戻されてしまった。

・・・つづき・・・

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