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川田亜子さん最後の言葉2

 「突然炎のごとく」は三角関係を扱ったテーマだった。1962年のフランスのモノクローム作品だった。TVがきつくて視聴できない頃合いに入っていたので、たまにTVの放送を見ることを中断してビデオの映画をこちらの部屋のデッキで流して精神を休めていた。TVを一時的に拒絶してビデオ鑑賞している合間もTV局は私の部屋へのモニターを辞めようとはしなかった。

 そのような条件の中、私がこのフランス映画のドイツ人青年役になりきって「カトリーヌ」と叫ぶとなぜか一部のマスコミにうけた。日テレだけは反発した。叫んだところの映画の場面はカトリーヌがもう一方の愛人と絶壁から車で無理心中を図るラストシーンだった。始終マスコミの盗聴にさらされていると、突然、なぜか道化を演じてしまうことがある。これは盗聴ストレスからくる被害症状なのだろか。まず自分らしくないし、自分でやっていて情けないものだった。

 もちろん視聴者とTV画面の有名人の間に三角関係が成り立つわけはない。しかしTVの有名人と視聴者の間で男女の感情が全くなかったわけでもなかった。視聴者側からTVの有名人に特定の感情もつことは自然なことだし、有名人側からすれば自分出番に馴染みのADや常連客がいつも目の前にいれば情がうつってしまうということもあり得るのだろう。TV側には出演者にいくつかモニターが見えていて、そのモニターの中にTVを視聴する特定視聴者の私の姿も映っている。視聴者と有名人がすぐまじかにいるような錯覚=バーチャルリアリティーはこうして成立していた。さらにいうと遠隔手術や遠距離恋愛も実現を可能にしてしまうTV電話に近いものだった。

 しかしながら被害者と加害者という対立した関係であるのにもかかわらず身近な人物に抱くような特定の感情を持ってしまうはどうして避けられないのだろうか。外をうろつく工作員の女には決してこのような感情は抱くことはないだろうし、ましてや心を開くこともあり得ないだろうことなのに。


・・・次回へつづく

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