川田亜子さん最後の言葉5
また亜子さんは盗聴に怯えて、事件の4ヶ月前に警察に被害届けも提出していた。アナウンサーが何故集団ストーカーに狙われるのか不思議だが同じような業界でも社会派の映画を作る人物には被害者がいると聞く。盗聴が始まったのはこの社会派映画をつくる人物との交際が切っ掛けになっているようである。被害の二次感染とか二次被害というものなのだろう。重症の被害者の私には耳が痛い。これで身辺には友人もできない。
亜子さんの情緒が不安定になっていったのは特別なことのようには思えない。被害者は多くは多少なり経験している。どんな人であれ集団ストーカーという集団性精神的暴力に平静であり続けることのほうが難しい。精神的な不安によって集団ストーカーが幻覚のように見えるのではない。集団ストーカーの存在によって被害者の精神が不安定になるのである。本末転倒させた理由(集団ストーカー幻覚妄想説)はいまだに加害者側の常套手段である。
ある週刊誌によれば生前亜子さんあることを聞いたとき次のように返ってきたという。「あれ、あるの?」「実はあれ、あるのよ!」。《あれ》とは”集団ストーカー”のことであるとも週刊誌には解説があった。決してTVではメジャーにならない”集団ストーカー”という単語をそのとき週刊誌で初めて目にする。別の週刊誌だが編集者にも公安による嫌がらせもたまにあるという。
週刊誌群をチェックしていると読み飛ばしそうになるようなところに集団ストーカーらしきものになにげに触れた記事が数行、稀にでてくる。週刊誌はだから侮(あなど)れない。ふざけたTV よりも幾分真実を追っている姿勢がある。「集団ストーカー」のことを「あれ」と指示語で表すぐらいマスコミの中でも「集団ストーカー」は大きな存在であることはどうやら確かなようだ。被害者の私に密着取材(盗聴)している過程で集団ストーカーの実態を把握したというレベルではなかった。集団ストーカーを「あれ」と呼んできたマスコミと集団ストーカーの間には歴史めいたものすらそこに感じるのだ。
・・・つづき未定
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