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2009年11月

「思いやり」が「嫌がらせに」?

 18時半ごろ散歩のために歩道を歩いていると、歩道に車が斜め入り込んで駐車 していました。歩道を塞がれてしまった歩行者の私は、ワザワザ大きく車道側へ出てそこを通過していかなければなりませんでした。最初は、ちょっと、マナーが悪いドライバー ぐらいの印象しかなかったのですが、ナンバープレートを見ると、Yナンバーの「0008」でしたので、そこでやっと確信犯でコリジョンキャンペーンやられ ていたことに気がつきました。

 「斜め駐車」というのはストーカーの定番でしたね。そして車両も工作員が多く使用しているチェロキーの荷 台を塞いでしまった普通トラック型。なににもまして独特なナンバー。そして、さらにその場所柄ににふさわしくない芝居がかった工作員同士の会話の姿。これ はストリートシアターの一つに数えられるかもしれません。どれもストーカーの「典型」をしめすものでした。

 コリジョンはしばらくなかっ たので意表を付かれました。しかも、日本人ではなかったのでまさかと思いました。黒人とアジア混血のようでした。日本人職員かアメリカ人かは分かりませ ん。そのYナンバーの外人らしき人物と日本人の工作員と車の脇で立ち話しているのは横目で確認できました。英語だったか日本語だったかは聞き取れませんで した。朝鮮語のようなイントネーションにも思いました。

Collision_2  確か、その30分前ほどに「国家事業仕分け作業」が「思いやり予算」に思いっきり食い込めなかったニュースを聞いてぶつぶつ私は自室で「独り言」(ひと りごと)は言ったような記憶があります。「仕分け作業」で一番成果がでるのは軍事関連費であることは目に見えています。といった内容の「独り言」です。ど この視聴者でも言いそうなものです。


 何故、今、ここでコリジョンキャンペーンされるか自分で理由を考えるとき、大体は私が自室で「独り言」を言っていることが多いですね。個人の「独り言」に対する国の行政機関からの検閲や干渉というわけです。恐ろしいことですが、私の周辺では日常的にあります。


 写真は通り過ぎて後、しばらくして気がついてから振り返って古い携帯で撮ったものです。白のワンボックスの前の車がそうです。画面が小さくてごめんなさい。ちょっと怖い感じでしたし、あっというまの出来事でいい映像は撮れませんでした。

(このブログの表示がおかしいです。このサイトにアクセスした最初の画面で、記事の中身が一行しか表示されません。はじめてのことです。今回のこのブログの内容が原因でしょうか?)

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せこい謀略

 団地の掃除当番は先月やったばかり。つぎの私の掃除当番は半年先になるはず。が、しかし、今朝玄関をみてみると掃除当番の札がかけられてるではないか?なんという嫌がらせだろうか!確か今週の掃除当番は向かい中国人であるはずなのだが、引継ぎの住人が間違えて私の玄関に札を掛けていったというのだろうか。また中国人が自分の掃除当番を新参の私に押し付けたのだというのだろうか。

P1000015  それは絶対にない。これは、この棟に住んでいない工作員の悪戯(いたずら)である。向かいの中国人のドアに掛けられた札を私の玄関のドアノブに架け替えていったのがしばらくして分かった。工作員は私が向かいの中国人と仲が悪いのを知っていてこの犯行に及んだ。仲が悪い近所の中国人との関係をさらに悪化すべくこのような謀略をしでかす。被害者の人間関係を24時間観察しタイミングを見計らってはこのような小細工をしかけてくる。それはここ数年パターン化していることでもある。

 下の痴呆系住人との騒音問題で消耗していたときでもあってかなり精神的に参った。中国人と話すのは嫌だったが、丁重に挨拶をして、事情を話して、掃除当番の札を手渡した。大したことないようであっても自治会にはとりあえず言っておかないと。
これに似たようなことはここに来てからもう3回ぐらいある。恐らくこの先またやるであろうから。何者かが団地に侵入して悪戯(いたずら)していくというのは非常に怖い。家宅侵入被害ではないがそれにかなり近い手口のようにも思った。

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雑記7

「川田亜子さん最後の言葉」の反響
 前回の内容はインパクトがあった模様。芸能人はかなりヒイていった。殆どのキャスター、アナンサーは冷静そのもの。大勢にはほとんど影響ないという感じだった。しかし、書けなかった隠し事をようやく吐き出せて肩の荷がすこし下ろせた気がしている。
 
 それでも隠しごとの1パーセントも書いてはいない。メディア被害の入り口にも及んでいない。しかし、あまりにもブっ飛んだ内容に読む方から理解されることも少なくなることは予想できている。だったらメディア被害の分野はフィクションでも書くくらいの心持でもっと気軽に頻繁に書いていいのではないかと自分でも思うが、なにせマスコミ圧力がある。


パトカーによる連日の嫌がらせ
 連日、外出、散歩や、買い物のときパトカーに遭遇する。オバマ大統領が来る前後は、かなりパトカーや警官が私の周辺に目立った。しかし、大統領が帰った後もまだパトカーでのストーカー行為はやめてはくれないようだ。15年に及ぶ市民監視の結果で、犯罪性のない市民であることを分かりきっていてもやるというは本当に失礼なやつら。交差点で待ち伏せするパトカーはゾロメストーカー車両そのもの。私の横を人が歩く速さよりもゆっくりと徐行して抜いていく陰湿さはその前日のパンチパーマのチンピラ工作員車両そっくり。

209号はなぜ?
 209号(下の住人)の家族構成がようやく把握できた。老父夫婦に20代の娘がひとり。老人がひと頑張ってノイズキャンペーンしていたとばっかり思っていたが、実は、家族全員でやっていたようだ。上の住人が玄関のそばで就眠することをこの家族は極力嫌がって何時間でもノイズキャンペーンしてくるので、ノイズキャンペーン以外の生活音から家族の状態を把握するのに一年以上もかかてしまった。娘だけそとで働いているらしいが、老父夫婦はずっと家にいる。

 その老父夫婦が就寝中に頭のものとで天井を棒のようなものでヒステリー患者のように突付くこと頻繁にある。ドカーンと一発のときもあれば、「ダンダンダン・・・」何かの工事のように凄まじい連打で天井を叩く。そっと足音を控えて寝場所をいくら変えても恰(あたか)もこちらがいつも見られているように頭を向けた位置を悟られてしまう。老夫婦の耳が獣(けもの)なみに発達している。そして頭の下の天井を突然にどつき始める。もしくは頭に近いドアや襖、窓の開け閉めを、乱暴な作法で不必要に繰り返す。

 こちらの生活音がうるさいならばどうして直接言ってこないのか。また大家を通して間接的に苦情がこちらに伝わってこないのか。そしてどうして全く生活音も騒音もでていないシーンとした就寝中を狙うのか。非常に不気味である。まったく理由が分からない。

 この家族が工作員だからという理由ならばうなずける。理由がなくても工作員は嫌がらせのためにやる。普通の人間は苦情があっても天井を凄まじく突付くことはやらない。それは喧嘩売っているのと変わらないことだろう。こうも理由も分からず嫌がらせのノイズキャンペーンで叩き起こされることが頻繁になると、こちらも次第に疲労で呼吸困難におちいる。これは騒音行為を超えた殺人行為でなくていったいなんだ。この家族はとてもまともな精神状態にはない。工作員でなければ精神異常にしか思えない。

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川田亜子さん最後の言葉5

 また亜子さんは盗聴に怯えて、事件の4ヶ月前に警察に被害届けも提出していた。アナウンサーが何故集団ストーカーに狙われるのか不思議だが同じような業界でも社会派の映画を作る人物には被害者がいると聞く。盗聴が始まったのはこの社会派映画をつくる人物との交際が切っ掛けになっているようである。被害の二次感染とか二次被害というものなのだろう。重症の被害者の私には耳が痛い。これで身辺には友人もできない。

 亜子さんの情緒が不安定になっていったのは特別なことのようには思えない。被害者は多くは多少なり経験している。どんな人であれ集団ストーカーという集団性精神的暴力に平静であり続けることのほうが難しい。精神的な不安によって集団ストーカーが幻覚のように見えるのではない。集団ストーカーの存在によって被害者の精神が不安定になるのである。本末転倒させた理由(集団ストーカー幻覚妄想説)はいまだに加害者側の常套手段である。


 ある週刊誌によれば生前亜子さんあることを聞いたとき次のように返ってきたという。「あれ、あるの?」「実はあれ、あるのよ!」。《あれ》とは”集団ストーカー”のことであるとも週刊誌には解説があった。決してTVではメジャーにならない”集団ストーカー”という単語をそのとき週刊誌で初めて目にする。別の週刊誌だが編集者にも公安による嫌がらせもたまにあるという。

 週刊誌群をチェックしていると読み飛ばしそうになるようなところに集団ストーカーらしきものになにげに触れた記事が数行、稀にでてくる。週刊誌はだから侮(あなど)れない。ふざけたTV よりも幾分真実を追っている姿勢がある。「集団ストーカー」のことを「あれ」と指示語で表すぐらいマスコミの中でも「集団ストーカー」は大きな存在であることはどうやら確かなようだ。被害者の私に密着取材(盗聴)している過程で集団ストーカーの実態を把握したというレベルではなかった。集団ストーカーを「あれ」と呼んできたマスコミと集団ストーカーの間には歴史めいたものすらそこに感じるのだ。


・・・つづき未定

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川田亜子さん最後の言葉4

 川田亜子さんはこのことを知っていた。それというのもTVと私の部屋のこうした些細なやりとりはアナウンサーや報道のみならず業界の芸能人まで知られてしまうのが当たり前の状態だからだ。TVの前で呟(つぶや)く独り言が恰も芸人が大舞台で演壇や演技を成功させたかように広まってしまうこともままあった。何故にそのようなことが起こりえるのか。私の部屋が外接のTVスタジオにされているぐらいは自分でも説明できようか。しかし何故(なぜ)私なのかは私自身がいまだもって分からない。

 亜子さんはこのような特異な私のポジション利用した。さらに言うと私と『香り』の関係を映画の中のカトリーヌにコジツケて成功させた事例――形成事実を利用した。ことわっておかなければならないが亜子さんと私の間には特別な感情はなかった。亜子さんがフリーに転進したころは私は4年間 TVも観ていなかった。亜子さんが入社した新人のころはよく覚えているがフリーになる前後から死の直前までは彼女の近況を全く知りようもなかった。

 亜子さんは亜子さんの業界のほうでの人間関係に悩んでいた。ブログにもぶちまけて発散させたいのだがそうもいかない。そこで特定視聴者を仄めかすマスコミの昔からある技術が隠語として優れていることに目をつけた。特定視聴者のデータは被害が長期間にわたると隠語として確立した体系になる。その隠語を使うと、内輪だけの人間に対してだけだが、感情を発散することができる。そうやって心情をわずかながらも業界内と私に吐露しようとしたのだと思う。

 亜子さんが最後のブログを読んだとき、『香り』というのは亜子さん本人のことであることを私は即座に理解した。また業界にいる人間で最後のブログの中で亜子さんのいう『香り』が亜子さん本人に絡めてあることに異論を唱えるひとはいないと思う。もちろん異論どころかこのことに触れることすら憚る業界たちではある。

 この『香り』が日テレのアナウンサーではなくてあくまで映画「炎のごとく」の中の『カトリーヌ』であることをことわっておかなければならない。これは当人の名誉にもかかわる。架空の人物が漠然とした状況を少しでも言葉で説明できるよう利用されているにすぎない。『香り』アナは『香り』アナではなく『香り』アナが演じている『カトリーヌ』がこの特異な状況の世界に存在しているならば、亜子さんもどうやら『香り』アナ演じているところがないわけでないということである。

・・・次回へつづく

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川田亜子さん最後の言葉3

 マスコミはそのような喩えを非常に喜んだ。比喩は視聴者とTV業界のコミニュケーションが円滑に運ぶ手段なのだと思う。実際マスコミから特定視聴者への一方的な迷惑メッセージは殆どこの形態をとる。この部分はマスコミ被害者の経験ある方は理解可能のレベルだと思う。たまに視聴者側からマスコミの手法を逆手にとって仕返ししたというわけだ。

 『香り』アナは日テレのアナウンサーだった。絶壁から車ごと墜落するシーンを利用した冗談は野球チームのジャイアンツを転落にまた絡めることもできた。その年は不思議なことにジャイアンツが9連敗を3回繰り返して文字通りAチームからも転落した年だった。

 仕返しにしては、かなり被害者がマスコミに取込まれている。マスコミと私が仲がいいに思われるかもしれない。しかしマスコミに24時間捕囚された囚人の抵抗はこのようにマスコミに多少媚びないと到底無理だった。女子アナを相手するホストのように振舞わなければその日のニュースすら与えられない。アウシュビッツのユダヤ人芸人、もしくは劣悪な環境の置屋の女郎とも然程かわりがなかった。

・・・次回へつづく

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川田亜子さん最後の言葉2

 「突然炎のごとく」は三角関係を扱ったテーマだった。1962年のフランスのモノクローム作品だった。TVがきつくて視聴できない頃合いに入っていたので、たまにTVの放送を見ることを中断してビデオの映画をこちらの部屋のデッキで流して精神を休めていた。TVを一時的に拒絶してビデオ鑑賞している合間もTV局は私の部屋へのモニターを辞めようとはしなかった。

 そのような条件の中、私がこのフランス映画のドイツ人青年役になりきって「カトリーヌ」と叫ぶとなぜか一部のマスコミにうけた。日テレだけは反発した。叫んだところの映画の場面はカトリーヌがもう一方の愛人と絶壁から車で無理心中を図るラストシーンだった。始終マスコミの盗聴にさらされていると、突然、なぜか道化を演じてしまうことがある。これは盗聴ストレスからくる被害症状なのだろか。まず自分らしくないし、自分でやっていて情けないものだった。

 もちろん視聴者とTV画面の有名人の間に三角関係が成り立つわけはない。しかしTVの有名人と視聴者の間で男女の感情が全くなかったわけでもなかった。視聴者側からTVの有名人に特定の感情もつことは自然なことだし、有名人側からすれば自分出番に馴染みのADや常連客がいつも目の前にいれば情がうつってしまうということもあり得るのだろう。TV側には出演者にいくつかモニターが見えていて、そのモニターの中にTVを視聴する特定視聴者の私の姿も映っている。視聴者と有名人がすぐまじかにいるような錯覚=バーチャルリアリティーはこうして成立していた。さらにいうと遠隔手術や遠距離恋愛も実現を可能にしてしまうTV電話に近いものだった。

 しかしながら被害者と加害者という対立した関係であるのにもかかわらず身近な人物に抱くような特定の感情を持ってしまうはどうして避けられないのだろうか。外をうろつく工作員の女には決してこのような感情は抱くことはないだろうし、ましてや心を開くこともあり得ないだろうことなのに。


・・・次回へつづく

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川田亜子さん最後の言葉

 川田亜子さんが書いていたブログは2つあった。ひとつは"Ako's Style"というブログ名で残っているが、死の直前まで更新していたブログのほうは事件後、なぜかすぐに閉鎖されてしまった。そのブログの最後の本文はもう消されてしまったので全部は覚えていないが、気になる一部分だけ今でも覚えている。

 「・・・皆さんそれぞれの『香り』に出遭えたらいいですね・・・。」と書かれていたように思う。『香り』というのは彼女と同じ職業の女子アナの名前に掛けていることはすぐに分かった。このような名前の使い方は隠語のように業界に流通している。私は視聴者なので業界と特定視聴者の間に出回っているといたほうがいいか。24時間始終盗聴された特定視聴者と業界の関係はもう世間一般からは理解困難なレベルにまでに達していた。特定視聴者をもとにした隠語や流行文句さえも構築されて流通していた。

 その『香り』というアナウンサーはぱったりTVに出なくなってひしさかった。その女子アナを私はカトリーヌと呼んで冷やかしたことがあった。フランス映画「突然炎のごとく」をたまたま観ていた時、何を思ったのか映画の主人公の名前のカトリーヌに重ねて私が勝手につけてしまったのが切っ掛けだった。

 実際はカオリーヌとか本人が使っているカオリンがニックネームとしては相応しいのは分かっていた。日テレのテレビ番組に「かっとおよび」という番組がプライムタイムにやっていたらしいが、「か」という文字しか一致していないではないか?というTVサイドから特定視聴者への反論や突っ込みを番組名にそのまま使ったものだった。番組のタイトルだけにちょっと借用するだけはでなく特定視聴者を対象して番組を一本作ってしまうことも日常的に行われていた。

・・・次回につづく

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ストーカー歌手のパラサイト商法11


 ストーカー犯罪者の平井堅がまた懲りずに被害者を利用しようとしているので不快です。粘着質のストーカーはもうコリゴリという感じです。こうやってブログで訴えることは発散になりますが、平井のような犯罪者には宣伝効果にもなってしまいます。
 
 よってブログで内容はいっさい言わないほうが無難ですよね。紹介になってしまってはしょうがありません。

(少女漫画の歌らしいですが、商品としては、『落ち目』ですね。ぽしゃりが多いですしね。『落ち目』が今回も被害者にタカってなんとか盛り返そうとしているのは見苦しいです)

(しかしながら、どうして平井の歌を使った映画はこうも低予算でチャッチィーB級映画になり下がってしまうのでしょうか。)

(これは平井がオチメだからというよりも、もともと平井の実力がタイアップする他の商品の質に見合っていかったということなのではないでしょうか。つまり宣伝費が足りないところを誤魔化すために無理して、平井を採用しています。)

(このブログに取上げられることでまたまた業界が反発して特別賞かなんか与えられるのでしょうが、それが全体の質と興行収益の低下を招いていることに気がつかないといけません)

 気分が悪いので次回はマスコミ関連を取上げることにしました。前々から何度も警告していることであります。テーマは「川田亜子さん最後の言葉」です。時期的にずれてしまいましたが、マスコミとの関係のはかり方で、こちらから時期を選べない事情があります。お許しください。

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障害者権利条約

 千葉県東金市で昨年9月、保育園児の成田幸満(ゆきまろ)ちゃん=当時(5)=が殺害された事件で、殺人と死体遺棄、 未成年者略取の罪で勝木諒被告が逮捕起訴された。この事件はTVのニュースやワイドショーで連日流されていた。勝木被告には軽度の知的障害があって、TVの画面でも一般の人間の表情とは異なっているのが確認できた。TVではさらにその障害者の独特の表情が強調されて流されていた。障害者の挙動不審な受け答えはTVの視聴者の殆どがこの勝木容疑者が「本当にやったかもしない」と思わせるに十分な映像だったように思う。私もそう信じてしまった視聴者の一人だった。


Katuki_3  しかし勝木容疑者を受け持つ副島弁護士によると、勝木被告には軽度の知的障害があるため、「褒められたり、頭をなでられたりされれば、供述を変遷させる」という。 今回の逮捕は自白だけで「物的証拠」がまったくないことを指摘した。確かに誰かに問い詰められと自分で真偽を確かめる前に相手の言うとおりに認めてしまいそうな雰囲気はある。

 だからマスコミの女性記者の誘いに応じて勝木容疑者が女性記者と一緒にカラオケまでしてしまうというのは、うなずける。普通の犯人では考えられない。これも周りの誘導にホイホイと乗ってしまう軽度の知的障害者の特徴にも思える。自白が誘導されていったものだったならば健常者よりも容易いであろう。「褒められたり、頭をなでられたりされれば、供述を変遷させる」とは、相手の気に入るように自らの事実をもつくり話に変えてしまうことだ。もしそうならば自白を強要された足利事件と変わらぬ冤罪ということになる。

 非常に気になるのが警察とマスコミの障害者への差別的対応だ。特に警察には知的障害者や精神障害者への差別心を形成させようとする企(たくら)みを感じる。精神発達遅滞と診断されている容疑者を事件発生から間もない段階から実名と写真報道に踏み切っているマスコミは警察の企(たくら)みごとの片棒を担いでいるいわれてもしょうがない。

 池田小学校無差別殺傷事件のときもそうだった。こちらは冤罪ではないが、小出しのリーク情報で警察はマスコミを誘導していった。マスコミは喜んで誘導に応じた。宅間守容疑者が精神障害者だったことが精神障害者の差別を煽る結果となった。マスコミは報じないがこのときかなりの精神障害者が自殺へ追い込まれた。連日の報道に体調を崩して入院する障害者が続出した。

 この幸満(ゆきまろ)ちゃん事件のときも勝木容疑者が知的障害者であるということで、知的障害者がともすれば社会に脅威となるものか世の中に知らししめようとした消極的思惑なのか。またいかに危険な存在かレッテルを張ろうとした積極的アピールなのか。とにかく警察に知的障害者の恐ろしさをアジテーションされたような印象が拭い去れないのだ。

 精神障害者が集団ストーカー行為されたいるという事例はネット上でもかろうじて確認できる。私はネット上に上がらないものまで聞いている。特にパトカーによる執拗な障害者への「付き纏(まと)い」に障害の病状を悪化させて入院した障害者が確実にいる。しかもかなりの数にのぼっている。「自殺させる」「入院へ追い込む」といった
集団ストーカーの目的は、対象者が精神障害者の場合はいとも容易くできてしまう。しかも警察が公用のパトカーを使ってやっているとは驚くべきことである。この信じられない事実を聞くたびに警察の極悪、悪党ブリをおもい知る。これは障害者への暴力や差別でなくしていったい何なのだろう。

 警察が決して先導して差別的に勝木容疑者を容疑者に仕立て上げたのではないとする。そうならば日常的に行われている障害者へ弾圧とも思える行為のほうはどう説明するのだろう。双方に感じるのは警察内に存在する障害者への強烈な「差別」である。「差別」によって突き動かされているようにどうしても思えてならない。

 障害者権利条約を批准していないのは先進国では日本ぐらいなものだという。集団ストーカーできにくくなる法律は批准したがらないとでもいうのだろうか。批准しても法的に拘束されないように国内で先に人権擁護なる悪法で迎え撃つつもりなのだろうか。この国際法の批准は障害者の権利獲得になるばかりではなく将来的には子供・女性・被害者の権利獲得の方向へ導くためにも非常に重要な法律であると聞く。早期の批准を切に望む。

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