« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

雑記6

209号

 先週は下に住んでいるご老人の嫌がらせが最高潮にまで達していた。天井をどつくのは言うまでもなく、玄関やベランダドアを思いっきり開け閉め繰り返し、凄まじい騒音をたてて3時間は続いた。おかげで不眠が続く。認知症老人が切れるとこんな感じなのか。今週は少し落ち着いたが、ドアの開け閉めが相変わらず意図的なので、こちらの神経に障る。

308号

 下の切れた認知症老人のノイズキャンペーンとばかり思っていたのだが、実は隣の工作員のノイズキャンペーンがかなり混じっていた。団地の建物の構造上の関係で、全く別の方向から騒音が反響していることに気がつかなかった。認知症の嫌がらせの騒音と工作員のノイズキャンペーンはかくも似通っている。308号は定時の防犯アナウンスにあわせてベランダの開け閉めを執拗に繰り返して騒音をだす主婦工作員である。

急車両チーム

 朝方の散歩の帰りにパトカーが出没。ヘッドライト消して徐行する姿は全くゾロメストーカー車両そっくりだ。夕方の買い物にもパトカーがまず現れ、横から消防車が同時に横切っていった。買い物の帰りは救急車が正面からやってきた。この救急車、遠目から停車して時間稼ぎしている姿が見えていた。私が目の前にくると動き出す。これもゾロメストーカー車両そっくりだ。室内にいるときでも緊急車両のサイレンが気になるのはこれらのようにアンカリングが野外でも十分にされた結果であるようだ。緊急車両の出没はなにか最近の世の中の動きと関係あるのだろうか?そして被害者になにをこじつけているのだろうか?

除当番

 下の認知症住人から当番が回ってくるのだが、当番の札がドアのノブに掛けられていただけだった。前回はチリトリも置いてあってが、今回はチリトリを置いていかなかった。ちょっとした嫌がらせらしい。掃除場所にはマスクが二つ落ちていた。こちらは嫌がらせの意思を明白に感じた。新型インフルエンザが猛威を振るっている最中別の工作員による嫌がらせであった。

せきばらい

 せきばらいによるアンカリングはごみ置き場のマスクの一件から増えだした。加害者は被害者が拒絶反応したものを繰り返してくる。インフルエンザを恐れているから近くまで寄ってきてはそれらしいセキをあびせる嫌がらせということらしい。被害者にはその都度被害の流行ができる。

き溜め

 できればブログ更新が定期的に行えるように2ヶ月先の分まで書き溜めていたい。しかし私の場合、テンペスト盗聴被害が厳しくなかなか書けない。仮に書けたとしてもブログ用に下書きしたものに対して次の日にはマスコミから反応がある。まだパソコンの中だけに保存してありネット上には更新もしていない。にもかかわらずである。書いた下書きの題材は当然ボツになるものが半分あるはずなのだが、マスコミの余計な反応に私の方が反発してネット上に更新してしまうことになる。そこでマスコミにいいたい。放って置けば発表することもない題材を私に発表させないでほしい。簡単に言えば盗撮すな!

中国人家族

 シャワーは浴びることできるのだが浴槽に浸かれない。習慣の違いによりドラム缶体系の中国人婦人が隣室の日本人が浴槽に入ることを決して許さないからだ。もし入ったならベランダの敷居の壁がドカーンと爆弾か銅鑼(どら)のように鳴る。この中国人世帯は工作員ではない。情けないことだが他の被害のストレスがあるから避けられるストレスは極力避ける。

| | コメント (0)

シンボルの提案

 乳がん撲滅のために早期検診の啓蒙や推進する運動があって、その象徴として「ピンクリボン」というマークがあるらしいですね。また日本人拉致被害者救出を訴える運動をあらわすシンボルとして「ブルーリボン」があります。こちらは有名ですね。マタニティマークなる妊婦であることをアピールする啓発マークもあるそうです。

 これらのマークやシンボルはその運動の認知度を広めるために一躍を担っています。そこでなのですが集団ストーカー被害を訴えるために、これらのシンボルやマークに倣ったものを発案してそれを広めるというはどうなのかなあと考えました。

 もしも集団ストーカー被害のシンボルをデザインしたペンダントやバッチを売り出すところまでいったら、集団ストーカー犯罪被害の知名度をあげる活動としてはかなり前進したものになるではないでしょうか。売り上げが発生してしまったなら、僅かな額でしょうが、そのまま集団ストーカー犯罪被害者や他の犯罪被害者のための基金にもなります。女性の被害者の方々がいいデザインを発案してくれそうな気がしています。

 シンボルといえば加害者側の作ったマークがトラウマのよう被害者の私に蘇ってきます。歌舞伎役者の目の付近のメイクのような防犯ステッカーです。鋭い目つきのイラストで「防犯」のための監視を表現しているそうですが、少なくとも私には市民を監視する意味であったり、加害者側からの盗撮を想起させるような悪いイメージしかありません。日の丸を縦横に2個ないし4個重ねたマークもありました(この
マークは『防犯』ではないそうですが)。特定の宗教を思い起こさせる旗、数珠、バッジなどもよく被害者の方々のサイトでよく見かけます。加害者がシンボルを利用したものにはまだまだいろいろあるようです。

 それらのうち防犯ステッカー場合、ほとんどはストーカー車両に張られています。一般の人には大した意味のないようなマークなのですが、被害者の私には加害者のストーカーという犯罪行為のついでに強制的に繰り返して見せ付けられます。その結果悪いイメージを持ってしまったわけです。被害者に不快感を与えるアンカリングの道具として、
加害者側の方ではすでにシンボルを目的の範囲を越えて悪用していること他なりません。

 被害者のためのと考えているシンボルは勿論そのような犯罪的な使い方ではありません。純粋により多くの世の中の方々に知ってもらいたい一心からそのようなのもがあったらいいなと思った次第です。
Blueribbon_2

70年代・80年代、被害者のご家族が拉致被害をいくら訴えてもマスコミにすら採り上げられることはありませんでした。これは集団ストーカーとその被害の現状に似通っています。集団ストーカー被害を国内拉致だと喩える集団ストーカー被害者の方々の意見に賛同するところです。国内拉致犯たち(集団ストーカー)は被害者を外国に連れ去ってまで拉致しようはしていません。しかし国内の精神病院、監獄、そして墓場を被害者たちの最終的な拉致した先での監禁場所に選んでいるのは間違いなさそうです。

| | コメント (0)

ストーカー歌手のパラサイト商法10

スーパーで平井のような曲が有線に流された。ひさびさに耳にした。どこかで聞いたことがあるリズムだ。なんと先週まで2週にわたってベースで練習していた曲と同じ曲調ではないか。またやってくれたな。また特定視聴者を盗聴した個人情報で平井が急遽私が使っていた練習曲をまねてつくったという感じだ。そしてそれを聞きたくもない盗聴元の本人に無理やり聞かせて怒らせる。平井堅(重症ストーカー)が行っている一連のパラサイト商法である。マスコミの一部は24時間監視されている被害者の弱みに漬け込んで利用する。マスコミの一部が傍観者から第一級加害者に豹変するときでもある。売れなくなりそうになるとこうやって被害者に強請(ゆすり)りでくる。いや時期的に今年もNHKの紅白に選ばれるための売名行為としてやったのだろうか。(しかし紅白にこだわる限り少なくても本物のアーティストじゃないな。こいつ。)

今回も、私がベースの練習で何百回とやった曲を平井がパクッている。その曲はまたキャメルだ。なぜキャメルなのかは「ストーカー歌手のパラサイト商法・第一回」で述べてある。(ボーカルの声質はキャメルの声質が私の声質に似てあるということと名前の符合で平井堅が売り出された経緯がある)どうして私がいちいちすることなすことを平井が盗聴して歌にするのかはわからない。ヒットに味を占めたことを理由とするにはあまりにポシャってしまった歌手や曲があまりに多すぎる。強力な変質者かストーカーだからという理由ならば納得がつく。こいつはまさしく強力な重症ストーカーにちがいない。(平井は被害者が有線で拷問のように聞かされることを当初から知っている。その上で被害者に絡めた詩や曲が平井によって作られる。拒絶し嫌がっている被害者の感情を完全に無視しているのはストーカーしかできないことだ。ただ誇張してストーカーと呼んでいるわけではない。)

曲はあいかわらず低級である。10年前の曲かな?とさえ思った。進歩もなにもない。ひどいものだ。私の使っていた練習曲はキャメルのアルバムbreathless”summer lightning”で80年代のダンス系ビートである。一方まねた平井の曲は同じようにダンス系ビートでかなりキャメルの曲を意識させてある。ほとんど盗用といっていい。(そして盗用といっても2つの盗用が重複して行われている。一つはキャメルの曲そのものだがもう一つはその曲を聴いて練習している私のプライバシーを盗用している。)パクリだからといって古さまでそのままアレンジというのはプロとしても情けない。今の人たちの嗜好に合わせるのがプロだろう。いくらアレンジしてもまた80年代どこかで聞いたことのある別の曲をそのまま引張ってきては流用してしまている。それでいて自分の曲だと言わんばかりである。そして自分のひらめきでこの曲を作ったと大嘘をつく。私のキャメルの原曲をベース練習している風景を盗聴しなければこの曲はできなかったくせに。また私が被害者になっていなかったら彼はこの音楽の世界にもいなかったくせに。(被害者を盗聴盗撮し参考にしその被害者の言動から曲をつくり再び被害者に曲を送りつける。被害者が日常生活もできずに苦しむ。そしてそれを生業《なりわい》とする。集団ストーカーの中でももっとも悪質で罪の重いストーカーにしか思えないのだが、平井!お前はどう思う?)

もしかしたらしたらこの曲は10年前に作った平井の曲なのかもしれない。それを聞かされて私は新曲だろうと思ってこうして書いてしまった可能性もある。それだけ古臭い感じのする曲だ。平井自身がもう古臭いこともあろう。しかし、いまさら彼の曲を確認すらしたくない。ストーカーの被害者には加害者の犯罪を確認するときかなりのストレスがある。今回私の早とちりとしても、この男は次回どうせまたやる。いままで何千回とこの男にストーカーされてきたのだから一度ぐらいの早とちりでもこいつの前科は消えない。被害者は散々の目にあった相手の加害者をやすやすとは信用はしない。

実力のないものがその世界に続けることはできよう。身動きできない被害者の弱みに付け込んだ平井のパラサイト商法はその典型である。今回みたいに紅白が近づいたら犯罪被害者を挑発して何とかその席を確保することも平気でする。しかし本来実力のないものが下手にのさばる世界は全体が低迷する。CDの売り上げの悪さはなによりそのことを表している。けっして被害者の祟(たた)りや怨念だけでそうなっているのではない。具体的にどういうことなのだろか。全体に与える質的な影響である。彼の曲はリバイバルやパクリばっかりだ。誰かに付き纏って誰かのものを盗んでいなければ何も造作れない。またそうでもしなければ売れそうにない。無理やり流行らせ売りつけるに成功したとしても質的にオリジナリティーが掛けた二流のものが目立つようになる。音楽業界の全体の質はこうやってCD売り上げと似たような曲線でもって地を這った状態に甘んじなければならない。

マスコミは掟(おきて)だ。ルールだ。約束だ。といって被害者にはマスコミと視聴者との微妙な関係を公言することを控えさせる。そのくせマスコミ当人は一向にルールとされたもの約束とされたものを守ろうとはしない。こうやって今回のように有線で無防備なときに嫌がっている曲を流しては視聴者とマスコミ間の約束を一方的に破棄してしまう。だから、こっちも何かマスコミの嫌がることを言わざるを得ない感情になってくる。マスコミと視聴者の特異な関係をなお一層バラすことは一案だと思っている。付随した有名人の秘密ごとや一部プライバシーもやもうえなく晒(さら)してしまうことにもなるのかもしれない(たいした秘密ごとではない)。

有線からネットストーカーされて曲を無理やり聞かせられたのだから、少なくても一回は今の時点でできる。普段TVからやられている「仄めかし」を考えたらもっとマスコミ関連のことを頻繁に書いてもいいぐらいだ。この先私が何か重大なことを吐き出してしまったとしてもその責任は私には問えない。私は歌手でも有名人でもない。ただの視聴者であるはずだ。文句があれば平井堅に言えばいい。

A2b9d0b28fa05ca28e9fb110_l

| | コメント (0)

散歩断行

 健康管理のため、朝方、散歩にでる。どんな時間帯でも、行く先々ですぐストーカーがゴキブリのように湧いてくるので散歩もままならないが、加害者の言いなりになって病気になってくのも馬鹿らしい。この散歩を日課にしようと思っている。団地の敷地内なら車が入って来れないので、ゾロメ車両を目にすることを防げる。朝方は出会う人も少ない。2週間も継続してないが最初はかなりいい気分で散歩することができた。

 しかし4,5回目の散歩あたりから、何故か自転車で目立つようになった。工作員がゾロメ車両の代わりに動き出した感じだ。工作員もかなりの数この団地に住んでいる。団地から「ワウッホ!」。暗い道ですれ違いざまに工作員が思い切り咳払いした。朝方まだ一般の人は寝ている。なのに非常に大きな音のセキばらいである。その無神経さに呆れた。インフルエンザが猛威を振るっている最中に通行人の相手の顔をみながら意図的なセキをする無礼さにはさらに腹が立った。「なんでそんなセキを無理にするかな」思わず口から漏れた。

 また工作員の部屋が入っている棟前を通るときにもその工作員の部屋から咳払いの大きな音を覚悟しなければならない。いやはや全くもう!!!

 彼らへの連絡網は携帯電話だろうね。「今、そっちに●●が行くから、咳払い(アンカリング)一発、頼む!」なんてメールや電話が工作員たちに届くなのだろうね。いちいちこっちも反射的に咳払いしてやり返すのは空しい。けれども一般の人たちには寝ているところ起こされて不快に思われていることを工作員に自覚させるためには一案かな。でもあまり近所迷惑したくないよな。しかしたった散歩一つですらこんなに疲れるとはね・・・。

| | コメント (0)

アンカリング用グッズ

 10月3日。モノレールから電車に乗り換える通路を歩いていたら電車の中に水色の弦楽器チェロのケースを背負った若い女が目の前を歩いいていく。その女が消えたころ同じような形の黒いチェロケースを背負った若い男が現れる。なんという偶然。この楽器は普段あまり目にしない。この駅では初めて見た。

 アンカリングじゃないかな。すぐにそう疑う。私も今、ベースに夢中になっているので、加害者が冷やかしを兼ねてやっている。そのように受け取った。だったら素直にベースのケースを背負った工作員をちらつかせたほうが分かりやすい。実はベースを背負った工作員はほとんど毎日見かける。最初は嫌だったが、この町はスタジオが多いから、次第に気にならなくなっていた。

 そこで、4本いれテニスカバーを背負った工作員をベースケース工作員の替わりに何ヶ月がはべらし始めていた時期があった。どうして4本入れテニスカバーなのかはテニスを趣味でやろうとしたが三日坊主でできなかったことに由来する。ストーカー被害で何せ人数も集まらない。今回の音楽もテニスと同じように易々とはできないことを「仄めかし」でやっているわけだ。毎回のことだがこのようなストーカーの陰湿さに苛立つ。

 ところで4本入れケースを背負っ工作員は何か滑稽な姿だった。やりもしないのにケースだけ背負わされて周辺を歩かされる間抜けさでもあった。しかし、4本入りテニスケースに慣れられてしまったというので、さらにチェロケースまでアンカリングの道具にするというのは、どうなのだろう。ここまで手の込んだことをされると、本当にアンカリングなのかどうかも含めて一度考え直す。コインテルプロとはこうした被害者にとっても解釈に時間のかかるものや難解なものまで含まれている。そんな海外の事例とも符号してないわけではないことをどっかで読んでいて思いだす。そしてその加害者集団の執拗さと不気味さにいい加減うんざりした。

 音楽はストレス発散にかなり効果がある。被害者がいろいろなストレスの発散方法や精神的な逃げ道を持っていると加害者としては困ることもあるのかもしれない。楽器に拘(こだわ)って被害者にアンカリングをし続けるには、こんな加害者側の背景があろうか。

| | コメント (0)

一回1200円のバイト

 10月3日。玄関を出てすぐ「0001」ストーカー車両が後ろから。続け様にゾロメ車両が何台も通過。10分もかからない駅までの道の合間に6台のストーカー車両を目にする。今日は集団ストーカーやる気マンマンらしい予感がする。被害者を選挙前と同じように犯罪という暴力と脅しでさえつけたい加害者側の願望を感じた。選挙で選ばれていない人種が依然としてこの国を支配していることをアピールするつもりなのだろうか。

 勢いよく走る電車の窓から踏み切りのところで待っている車が見えた。信じられないことだが何とゾロメナンバーだった。それが通過する踏み切りごとに待ち構えているから凄い。4連続。さすがにすべてが踏み切りの先頭ではなかったが2台はすくなくても一番前にいた。線路沿いの立体駐車場3階に「333」。外出先では2台の待ち伏せで、向かいの駐車場に。その2台は数時間後、別の「1121」と「777」の2台に代わっていた。帰るころまでにゾロメ車両が10台は通過していては排ガスを吸わせられた。そのうち最後の一台は、交差点に入ってきて通行妨害(コリジョンキャンペーン)だった。

 一台あたりの経費を単純計算で4000円としようか。どの産業でもそうだが人件費がそのほとんどを占める。非車両ストーカーは一回2000円とする(異論があると思う)。一日25台のストーカー車両、5名の非車両ストーカーで110000万円だ。ヘリが加われば一回でそれだけ経費はかかる。交差点で待ち構えるときには流通を阻害する。一般の産業に与える損害金を加算すると決して4000円では済まない。5000円から7000円といいたいところだ。月にすると2、500、000万から5、000、000円。年間被害者一人当たり最低30、000、000円。これにはまだ盗聴費や管理費は配分されていない。将来的に被害者がストーカー被害を原因とする事故、疾患から生じる加害側の負担分も含まれていない。

 被害者への膨大な経費がすべて税金でまかなわれてあるかお布施からでているのかは被害者によって違ううことと思う。ただ一つだけ言えることは国民に明らかにされない不透明なお金の流れがいまだに存在することである。そして溝(どぶ)にその札束を捨てるような使い方をしてる。これは被害者が身をもって知っている真実である。もったいなーい。もったいなーい。もったいなーい。

| | コメント (3)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »