お子ちゃま工作員
玄関から出るなり小学校低学年の少女が自転車に二人乗りで後ろからやってきた。サイレンに似た音を真似て声に出しながら「ウー,ウーッ」っと。自転車を漕いでいるピンクのジャンパーを着た大きな少女のほうがまず奇声に近い声を上げた。私の横に差し掛かるころ今度は小さな少女のほうが何か呟いていった。大きな少女との会話で言ったわけではなく、私に対して言った言葉だった。私のプライバシーを知っているものしか知らない内容であった。私はこの少女たちを全く知らない。団地の住人なのかも定かではない。しかし、少女たちは私に対して私しか知りえないことを呟いていった。まさに「ほのめかし」していった。この親が工作員で、私が出るころ子供に待ち伏せさせておいて、横を通過させたのは確かだと思う。仄めかしキーワードを呟く子供に指示したのも親だろう。
帰りにも、少女が自転車を二人の乗りでまた後ろからやってきた。今度は中学生ぐらいの少女がやはり後ろから、甲高い声を出しながら近づいてきた。今度はこの2人が会話してる。「ピーポ君」がどうだとうか「ピーポ君」がああだとか。「ピーポ君」を盛んに会話の中に繰り返して無理やり取り入れている。勿論、私はこの少女たちを知らない。しかし彼女らを姿が遠め視野に入った瞬時に不快になった。アンカリングするだろうなと身構えた。彼女らが話ながら近づいてくる僅かな時間が長く思えた。被害者の悪い予感は裏切ることなく、工作員の子供たちも「仄めかし」をやってくれる。
朝方の小学生の少女の最初の奇声がサイレンの口真のことを即座に思い出した。いや、これらの少女たちの工作で思い起こさせられた。このサイレンの口真似もピーポ君の言葉も「防犯」というキーワードを被害者に否が応でも連想させる。彼女ら工作員とその子供たちのコインテルプロという努力があってこそであろう。防犯ネットワークの悪罪を日ごろからブログに書いているから、工作員の責任者があてつけさらに子供まで使って嫌がらせするという具合である。
今回の件に限らず、あらゆる場所で工作員の子供たちが、まだ子供のうちから、このような仄めかしを代表とする集団ストーカー行為をするよう仕込まれていく過程がよく観察できた。相手の苦しみを思いはかる想像力も欠落した子供はこのような集団犯罪に荷担させるという誤った教育によって量産されていくように感じる。相手がどんなに辛い思いをしているか感じることもできない無痛症の子供たちはこうやってやはり同じ無痛症の親に育てられていくようにも思える。血も涙もない工作員の子供もまた血肉が通わない工作員になるのは自然なりゆきに思える。
しかしながら一番危惧するの学校中の子供のイジメに工作員の大人が拘わっている場合である。そうなると学校の中のだけのイジメだ。子供の中だけのイジメだ。とすることはもはや困難である。警察公安部が直接的に気に入らない被害者の子供を工作員の子供を使って過酷なイジメの渦中に追い込むことも現実に可能となる。子供を使ったアンカリングはそう思わせるに充分な出来事だった。
会社のイジメも学校のイジメも警察が主導して行えるようになってしまった社会とは・・・。戦時中も軍隊や警察によって一部の国民に似たような虐げられた情況があったそうだが、私のような被害者にはその社会が今現在私を取り巻いている現実としか思えないのだ。大人の中のイジメも子供の中のイジメもすべてのイジメの元凶は公安警察であり、その総本山である。また社会の隅々まで張り巡らせた防犯ネットワークがイジメ社会を拡大させた感染経路となっている。
似たような車2台が歩道に乗り上げて被害者の自転車の通行を阻むキャンペーン。
2台の前方の車がゾロメ車両のように規則正しいナンバープレートならば、
2台の後方の車もやはり同じような規則正しいナンバープレート。何かの宗教でしょうか?気持ち悪いです。(前方車両のリア・ウィンドー右側に赤丸ステッカーを縦にいくつも張っているのですが、これは何かの宗教か政治への仄めかしでしょうか?後で気が付きましたがピーポ君のシールも張ってありますね)
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