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2008年11月

一期一会

今回は昨年の今ごろの話。

 Hさんのブログを発見しコメントをし始めたのは2007年夏頃から。同じ被害者に対して何故か気負わずに無意識に書き込めるような気さくな感じのホームページだった。12月になって被害者のHさんと会食をすることになった。Hさんから会ってみないかという打診があった。Hさんの他にも2名被害者(XさんとYさん)が同席するという。なにせ同じようなストーカー被害者の方と会うというのは期待と喜びがある一方緊張する。

 約束の日にちが近づくに連れてその緊張は酷くなっていった。もしかしたら被害者の振りをしているい工作員ではないのではなかろうか。毎日、私のいたる生活に干渉して嫌がらせをしている加害者達のことである。もしそうだとしたら一体どんな目に遭ってしまうのだろう。期待はやがて不安に変わっていった。会食と言っても年末である。忘年会なのでお酒も飲むことに飲むことになるだろう。予算はどれくらい掛かるのだろうかとかさらに不安は増すばかりだった。落ち着きを取り戻そうと疑問に思ったことを兎に角その都度何かとメールしはじめた。

 正直言って、はじめて会おうとする被害者の相手に対する細かい配慮は省かれていた印象をもった。しかし、それはただたんにHさんがこの被害者同士の会食を何度もこなして慣れているだけに過ぎなかった。後からメールを読み返してみると2日前前日、そして当日と相手に対するやさしい心遣いのあるメールを送ってくれていた。

 当日12月30日。一人身の私には寂しく冷える季節。幸運にも天気が晴れた。晦日にもかかわらず、さほど冷え込んでなかった。今日は楽しくなるよう努力しようと思った。MかYのどちらかの町で会う約束だったが他の3人の居住区と私の合い間のMで会うことが決まった。Yさんは土壇場で来られなくなった。仕事入ったのことである。時間は18時。デパートTの入り口付近となった。Tの入り口は屋内になっていてかなり広い。エレベーターがビル側ではなく道路がわにビルの柱に沿ってついている。他にもまばらに何人か待ち合わせしている。

 初めて会う人なので年齢も顔も体型も全く分からない。私の性格から私は30分前に到着していた。HさんとXさんらしい人を辺りをつけて探してみたが誰だか全く分からない。かなりあぐねいていた18時を数分過ぎたころ、携帯に連絡が入った。携帯で会話をしながらTの入り口にエレベーターの周りをグルグルまわっていると同じように携帯を耳にしている女性がいた。会話も私の会話に同調している。ここと互いが見合わせて、「Hさんですか」とまず私から切り出した。「そうです。はじめまして」。

 Hさんは思ったより若い女性だった。それより驚いたのが美人であったことだ。女優の●●を小さくした感じだった。その横に体型のがっちりした男性のXさんがすでに待機していた。二人はかなり遭っているらしく親しい友人同士ようになっていた。ここにもう一人来るはずだったYさんのことで会話が盛り上がった。

 早速、忘年会の場所探しに繁華街のほうへ皆で向かっていった。師走なのでどこも満員だった。せめて師走のことを考えて予約をとるべきだった。彼方此方店を探している合い間、先頭をきって店員に店の空席状態を聞いて回るHさんの小柄で美しい姿がなんともあいらしかった。ある店のビルでは二人しか乗れないようなせ狭いエレベーターに3人でギュウギュウ詰めで乗り込んだ。あまりにも狭いエレベーターにおかしくなって3人に笑みがこぼれたいた。このときのことも印象深くって鮮明に覚えている。結局この店も満席で断られてしまった。

 3箇所ぐらい満席といわれて次第に疲れてきた。そしてついに席が空いている居酒屋にたどり着いた。そして3人でその店に入ろうとした矢先、さっと女2名男2名の4人連れの柄のよくない若い工作員風のグループが割り込むように入ってきた。私たちが店員に誘導された席の隣りにそのグループも座った。この工作員らしきグループに隣りの席を陣取られてしまったら、もう今日は楽しい会食はこの工作員たちに妨害されることも同じだった。楽しいはずの忘年会はもはや期待できなかった。

 その時点では、この隣りのグループが工作員かどうかまだ半信半疑だった。楽しい席を壊されたくないが為に関係のない人たちであるように無意識的に願っていた。しかしこの隣りのグループが工作員であることを確信させたのは耳元で囁くように彼らの正体を教えてくれたHさんだった。やはり彼らが工作員であることをいち早く見抜いていた。私たちが思ったように時間が経つにつれて次第に彼らはその本性を表して行った。私たちが、話し合おうとするその工作員グループが会話を中断する。これは敏感なHさんが再び小声で教えてくれた。かなり気持ちわるいグループだった。そのようないやがらせの指示されて簡単な訓練をうけた工作員グループであったことは間違いがなかったと思う。私たちの会話の話題に何かと共通させて絡んでくるような話題にあわせてくる。彼らの会話にしばしこちらの会話が途絶え気味になった。彼ら工作員の声がだんだん不快に思えてきた。

 そのうち40分も経たない間にHさんはトイレにいってしまった。1時間は出てこなかった。この隣りの工作員グループに完全に具合を悪くされてしまったのである。席に残こされたXさんと私だけが飲み交わした。Hさんのいない席はちょっと味気ないものになった。Sさんがトイレに逃げ込んだHさんのことを心配して店員に様子聞いて見ようかと提案していた。私も同感だったので、店員に頼んでトイレに今女性いるのだけれども大丈夫かどうか聞いてみることにした。

 店員に話をしている最中にHさんがトイレからでてきた。「被害症状がでた」と打ち明けてくれた。隣りの工作員グループの嫌がらせという心理的暴力の結果であることは明白だった。一刻もはやくこの店を出てがった。私もXさんもHさんことを考えてでることにした。予約すれば、このような嫌がらせはある程度回避できるだろうか。いや予約しても加害者側はやる時はやる。こうやって予約を取らない方法は相手が機動性駆使して臨機応変に対応する分経費がかさむはずなので、むしろ集団ストーカーからの防衛策でもある。だから、最良の防護策は工作員がそばに着たかなと気が付いた段階でその店をでるべきだった。

 しかし、師走も晦日だから何処も満席で、キャンセル待ちの空いた席に飛びついたのが苦々しい忘年会になる結果となってしまった。その後、悪酔いさましを兼ねてコーヒーだけ飲みにコーヒーショップにはいった。そこでなんとかHさんも打ち解けて話をできるようになった。そう思ったのもほんの数分だった。なんとまた工作員が隣りに座った。今度は単独の若い女工作員である。他に席がいっぱい空いているのに我々のそばに席を取る。この時はXさんも私も工作員には思えなかった。しかし、今年に入ってから私自身がこの種の屋内での付き纏いを頻繁にやられているので、間違いなくこの時のも工作員だったように回顧している。

 そういえば待ち合わせでM駅についた瞬間から、もう車両系のストーカーは待ち伏せていた。四つ角のいたるポイントに9999や8888のナンバーの車が違法駐車していた。私に定例で付きまとっているゾロメ軍団である。Hさん達と出会えて、繁華街へ向かおうと信号が青に変わり横断歩道を渡ろうとしたとき、轢殺そうとするのではないかと思えるくらいにもの凄い勢いでストーカー車両が横断歩道を渡っている私たちに向かってきた。ゾロメではなかったがチェロキーでナンバープレートが0001というストーカー車両の典型だった。横断歩道寸直前でとまった。明らかに被害者、特に私に対する威嚇だった。かなり被害者同士が遭うことが気に入らなかったらしい。Hさんもこのときの恐ろしい体験の感想を述べていた。

 普通の人ならば楽しいはずの忘年会ですら集団ストーカーの餌食なってしまう。ああ何と普通の人たちと比べたら不公平なことだろうか。帰りは10時ごろM駅の構内で7,8人の若い工作員ががやがや騒いでうるさいなと感じた。通り過ぎてまもなく後ろから、この工作員たちが大きな叫び声に近い呼び声をあげていた。「Hちゃーん!Hちゃーん!」。私を対象に私の背後に浴びせ掛けていたのは明らかだった。今しがた別れたHさんのことを仄めかして叫んでいる。しかし工作員の仲間が私の前方にもいたのでそこに居合わせた通行人たちは私をとり挟んで私の前後で友人同士の呼び合いに聞こえるような体裁は取り繕われていた。

 工作員の冷やかしやを兼ねた嫌がらせだった。このような嫌がらせは初めてだった。「Hちゃーん!Hちゃ―ン!」恥もしらない外聞もしらない工作員には、カルトめいたどこかの宗教の信者のようなものさえ感じる。私とは無縁だった宗教団体も偶に絡んだりしているだろうか。私の被害は警備公務員が中心に存在して集団ストーカーを主導している分析をしている。宗教系集団ストーカー被害とは一線を画していた。しかしこの若い工作員たちは非常に宗教団体関係を匂わすものがあった。

 会の席上の時に話は戻るが、Hさん達の為にブルーベリーとメロンの羊かんをお土産を用意して渡してあった。そのお礼のメールがあった。なんとも律儀な人でもあった。忘年会は工作員たちによって台無しになってしまったが、その羊かんのお土産だけがなんとかその時の忘年会を不愉快で無意味な結果に終わらせることをかろうじて防いでくれたような気がした。孤立しやすい私のような被害者と他の被害者の人間的なつながりの機会をつくってくれたHさんXさんYさんに今でも感謝している。印象深い思い出をつくってくれて有り難う。

 悲しいかな現在はHさんと仲違いの状態にある。私の方が数段被害が重いことが原因である。私は集団ストーカー被害に加えてメディア被害も抱えた重症被害者である。このような被害状況では友人、知人をつくることも至難の業である。孤高ならば自分の意志によるものだけれど孤立している現実を考えると加害者側の計算と思惑通りであると考える。被害者の人格攻撃に転化してしまえば、なおさら加害者側の術中に嵌まってしまう。そうとしか今は言うことができない。

 私は加害者側、特に私に膨大な情報を吹き込んできたメディアへの不満とそれらのからくりを最後に書いたのだが削除してしまった。メディアははるか個人よりも洗脳や策略に長けている。それだけメディアからの報復を恐れている。いや、さらに恐れていることは私がメディア被害を受けている限り、Hさんは私を許そうとはしないことだろう。私の人格や人間性を憎まれることはさることながら、集団ストーカーにもまして過酷なメディア被害の境遇に私がいることに対して恨まれ疎まれるている。もし真実ならばこれほど恐ろしいことはない。実際、「本音」(タイトル名)としてそのような趣旨の身も凍るようなメールを受け取った。このメールを目にすれば、すなわちHさんの言う「本音」の前では、私への人格否定はかなり脚色された飾りものにすら映ってしまう。私の努力ではどうにもならないことを悲しく思う。努力が仇になり気遣いがかえって傷つけてしまうように二つの巨大な力は反転しあう歯車の役目をしている。とんでもない世界に私は放り込まれている。108841_pc_m_2

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粗暴な工作員の女親

11月19日夜。買い物の為にスパーDへ向かう途中、後ろから下の写真に映っている「0004」が追尾してくる。前回のブログ「アコさん」の部分に反応したようなナンバー。先回りしてスパーDの駐車場に入っていくところが見えた。ストーカーたちは行く先を知らされているのでいつものこと。私がスパーへ到着する頃は、彼らの性別と服装も見えた。この寒さになかに文字いりTシャツをきた母子。こどもは女子中学生ぐらい。夏からのTシャツ攻撃は、この寒さになると激減してやれやれと思いきや、季節はずれの文字入りシャツを久々に目にすることで、確実に工作員であることを確信。よって車のナンバーを携帯にて撮影。

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ここからが、ちょっと、いつもと違う。この30代の女、入り口付近で、なんと喧嘩を売ってきた。ストーカー女に怒号されるのは今回が始めてこと。隣りに住んでいる中国人女に触発されているむきもある。暇を持て余した集団ストーカーのこと、何かと此方の環境にあわせてくる。

「何、ナンバー映しているんだよ!逃げるなよ!」これが女が使う言葉なのだろうか。かなり長々と私に付きまとってこの他にも何やら耳元で叫んでいた。(TVでやっていたそうだが、もっと人権弾圧のもっと厳しい中国の周曙光さんだって追尾してくるストーカー車両を携帯で映していたではないか。日本は公安はもっと悪質で人権弾圧が酷いということなのか)いかにも育ちがよくないのをまざまざと露呈したような行為。女であっても、喧嘩うるよう上からの指示が回ったのかも。自分で付きまとい、気持ちの悪いナンバープレートとTシャツをアンカリングしてTI(被害者)を刺激しておいてさらに、駄目押しの喧嘩までふっかけるか。自作自演もここまでやるかな。しかし下手な芝居には付き合う義理はない。私は完全無視といく。私は口を一切開かない。女のすごい声だけが店内に響き渡る。

「何、ナンバー映してるんだ?」:私は警察に相談しに行った時、ナンバーを控えるように、また証拠を残すようとの複数の警察官のアドバイスに従っているにすぎない。「逃げるのかよ!」:別に私は逃げてはいない。買い物はちゃんとして自分の目的は足している。この女工作員はストーカーついでの買い物をしに来たはずなのだが、店内ではついぞ見かけなかった。逃げたのはこの女工作員とその子供の方だった。自分の大声に恥ずかしくなって。店内に居たたまれなくなったらしい。

警備員には、「集団ストーカー」で話すとややこしくなるし、第一印象として不利益にもなりかねないので彼女らを「朝鮮の工作員に対抗する為の日本側の工作員」であることを絡めながら話すと何とか説明ができた。横田メグミさんとか拉致被害の事件の圧倒的な知名度を借りるわけだ。勿論、携帯の中の奇妙なナンバーの証拠写真を見せながら話すと大体、何事かと驚いて思ってやって来た警備員も理解してくれる。

1時間後レジで清算するときは、別な女工作員がついた。相変わらずシツコイ連中だ。そういえば叫んで店内で喧嘩うってきた女工作員の子供のほうは、ネガネを掛けて大人しそうだった。子供の教育には明らかに悪い。子供のこの親と同じ工作員の仕事するなら別かもしれないが。成長期にある子供の精神衛生にはどんな影響がでるのか追跡調査してほしい興味は若干ある。

ところでこのような工作員たちが、一斉に商品に文句をつけたらその数は苦情として数千件にもなろうかと思う。商品の回収も考えなければならない。しかし工作員とは嘘をついて工作する名前のとおりの行動をする。企業の大小に拘わらず、企業防衛のためにもこれら工作員たちの個人情報を民間レベルでも把握すべきなのではないだろうかとも感じる。見なし準公務員は公務員よりも遥かに統制はとれていない。パトカーの中で淫行する警官が世の中を騒がせるならば、もっと統制の取れてない工作員はさらに世の中を驚かせせる潜在的危険性をはらんでいるということだ。実際、工作員たちが起こした事件らしきもの調べてみれば、公務員たちの不祥事よりも悪質なものや未解決事件が浮かび上がってくる。治安上、工作員を使って社会のいたるところに細工を施していく姿はつくづく諸刃の刃(ダガ―ナイフ)なことだと思う。

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敵か味方か

子供の頃はテレビっ子だったのだが、集団ストーカー被害の複産物の結果としてTVは観ない人になってしまったので、もっぱら情報源はインターネットからである。一時期はインターネットすら観なかったので情報源がまったくなかった期間が半年ほどあった。ちょうどインドあたり津波や地震で日本人も被害にあわれた頃。そのニュースは一ヶ月してから、知人の電話の会話で知った。

でも概して別にニュースがなくても困らなかった。人間は情報なしでもなんとかやっていける。最初は世の中から孤立したようにかなり寂しいが、禁煙と同じで、慣れていく。(また禁煙や断食のようにそのうち情報遮断してみたい。ブログの動画も中断するのでその時はよろしく)

現在一日に覗くブログは平均100近く。ニュースサイトから被害者のサイトそして有名人のサイトへとネットサーフィンは日課になっている。TVラジオを離れたといっても、まだメディア被害らしきものはネット上で残っている。

しかしTVに比べたらはるかに耐えられる範囲である。ニュースや企業のサイトはバナーがうざいくらいの被害でおさまっているが、個別の芸能人の場合はかなり此方を意識されたものも多い。

こういうときは私のような被害者も有名人になっていることを自覚する。まさに双方向インターネット情報時代。有名人からは此方に対しての好き嫌いの意思表示にとどまらず、もっと強い愛情表現や嫌悪、誹謗、挑発や敬遠するものなど各様々。

此方も彼らの商業利用戦略が分かっているので、浅く広くあまり深入りしない程度で付き合うしかない。社会情報をうる為には多少しょうがない
中にはそんなの構わず兎に角商業利用の意思のみをもって絡んでくるものや、素のままの感情剥き出しで関わってこようとする芸能人もそれはいる。

そんなサイトには頓着固着せずサッとひく。もしくは逃げるようにして関わらない。大体、こちらも不快な思いをするところは最初から入らない。メリットがないような無駄なことはしない。(しかし例外が一つあってその有名人と喧嘩してしているならば話は別である)

ところで著名人個人のサイトにお邪魔するとき。その著名人反応の作法に3つのパターンがある。

①まったく此方を無視する人(公人のような大人の感覚の著名人または全く私を相手にしない人)

②たまに此方をいじくる人(好意的な芸人または好戦的な芸能人)

③いつも此方を意識している人
(友人関係のようになってしまった有名人、もしくは被害者にたかることで商業利用し復活を目論んでいる落ち目の芸人)

①のような人は此方にとっては真に有難い。一般の人とたちと同じように社会の動きや生活情報を得ることができる。
②と③は普通の人には考えられないことだろう。盗聴されていなければ決して起こりえない現象だ。

いずれにしてもこれら思わぬ逆反応をもって社会と人とに関わっていかなかればならないというのは被害者にとってはさらに負担になる。集団ストーカー被害から端を発し、なおかつもう一段階深く進行した被害の一種であろうことは間違いがない。このような環境だからこそ平井堅のような強力なストーカー加害者もいる(加害者のサイトには決して入いることはない)。しかしその一方で、友人のような人間関係の有名人もできてしまって事態はより複雑化している。

私もどうしたらよいか分からない。ただ言えるのは同じ加害者側であってもメディアの人たちは権力の傘の下外出先でうろつくゾロメ達や付きまといや待ち伏せする工作員とは明らかに別の人種である。メディアの個々の人たちが公権力の手先の工作員(ストーカーのこと)たちよりも立派だなと思うのは、自分たちの受けているストーカー被害について一切不満を言わないことである。
彼ら有名人たちも私のような被害者までとは言わなくても、(もしかしたら同じくらいかもしれない。いや、私のような被害者に比べたら事務所や会社、業界にかなり守られているか)公権力なのかファンなのか写真誌のカメラマンなのかよく分からないようなストーカー達にわんさと囲まれていることには違いがないはずなのだ。(私は芸能人ではなく一般の被害者なので体裁を考えることなく被害を訴えていく)

有名人、著名人、芸能人、企業、学校、被害者、一般ブロガー、ちびっこタレント、新聞、放送局のサイトの皆様、今夜もベットリと足跡つけていきます。ありがとう。

Img_1418113_42192503_0_2生きている頃は「アコ」って呼んでたけど

でも今は「亜子さん」と言わなきゃね。

死を美化するつもりは毛頭ない。私は死にたくないしね。

けど橋の向こうは、皆んなが仲良く笑ってすごしていられる

お花畑があることを信じている

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何故か隣りに在日か中国人が多い

団地に引越しして、6ヶ月。落ち着いて一段落してもいい頃。しかしゴミ周りの掃除の順番が回ってきたら次はどうしたらよいのかと、まだ慣れないことが多い。

引越した先の隣室がどうやらまた外人であることは一週間もしないで分かった。また中国人だ。彼らは話し声が大きい。

なぜか隣りに在日や中国人が多い。集団ストーカー被害の一部とも考えられなくもない。以前住んでいた隣りも5年間中国人がいた。

韓国系在日は圧倒的に工作員が多かった。在日の悪臭公害や蚊の媒介させて皮膚炎になったのも在日の工作員が隣りに住み込むことで起きた意図的ものだったことはブログに書いてまだ記憶に新しい。

しかし中国人の場合は集団ストーカーを構成する工作員ではなかったし、今回移り住んだこの隣室も工作員ではない。小学生の子供2名に夫婦。この隣人の中国人を話題にすることは集団ストーカーの問題ではない。今回は生活上のトラブルの話になってしまう。

特に文化摩擦で困っている。彼らの話し声の大きさは、此方としては苦にはならない。しかし、此方の話し声には、気になるらしく玄関先で此方に聞こえるよう文句代わりに何かしら叫んでいる。最初は、子供をいつものように叱りつけている程度にしか思わなかった。中国人の子育ては虐待に近いように聞こえる。まさかこの部屋に向かって叫んでいるとは思わなかった。でも、何か文句を言っているとしてもやり返すことはしない。私は大人しくて礼儀正しい典型的な日本人。

でも、一番今此方も困惑している問題は、日本と中国の間の風呂の入り方の違いで生ずる。ドラム缶のような体型の中年中国人主婦の反応の仕方は、半端なものではない。ただ隣り合わせの浴室から罵倒するだけにとどまらない。ベランダの隣接する敷居や洗濯機を「ドカーン」と蹴飛ばす。最近は、週に2,3度やられる。

一体何が気に入らないのか考えた末に分かったのが、広大な中国の中でも彼女の住んでいる地域では、浴槽につかる習慣がないということだ。そういえば、シャワーを浴びている音は聞こえるが、浴槽に入っているような音は聞いたことがない。この中国人を隣人にすると、もはや「湯名人」や「バスクリン」のCMのように浴槽にザブンと入ることができない。

脅えながら、浴槽から音を立てないように、静かに入らなければならない。しかし、中国おばさんは聞き耳を立てて僅かな音も聞き逃さない。その鼓膜は醜悪な怨霊の地獄耳と化しているかのようだ。浴槽に入れてリラックスしている最中に、「ドカーン」と真後ろベランダの洗濯機や敷居ボードを蹴飛ばす。だから、もう安心して浴槽に浸ることができなくなった。

ここは日本であるはずである。どうして日本に住んでいる日本人が、外国から来た外人のために外国の文化や習慣に合わせなければならないのだろう。基本的に納得できないところが譲れないとか譲るとかの依怙地な感情より先立ってしまう。何よりも在日の工作員のせいで皮膚炎になってしまったので、治療には浴槽にどうしても入らなければならない此方の事情もある。「ドカーン」蹴飛ばさない時は、浴槽や玄関先でなにやら恥ずかしげもなく大声で叫ぶ。

今やこの団地の名物になってしまった(あくまで誇張表現)。彼女の自分の叫び声のほうが問題の生活騒音よりも近隣から目立ちすぎることを自覚するようになってからは小学生の自分の子供に自分が言いたいこと同じ浴槽や玄関口で此方だけに聞こえるよう言わせるようになった。何とも根も性質が悪いおばさんだ。概して自我が強い大陸の人の性質だけには思えない。

外国から来たエイリアンに侮辱的なことをされてとはいえ、私は決してやり返すことはしない。叫んだり蹴飛ばしたりは浴槽の生活騒音の何倍も大きな騒音でしかない。まずは他の住人への迷惑や体裁を考える。腰抜けと言われてしょうがない。私は控えめで大人しく全体の社会での自分あり方を考えてしまう典型的な日本人なのだ。それが証拠に反対隣りの日本人や工作員(工作員周辺類を含む)でない日本人とは何の問題もなく暮らしている。(以前ここに住んでいた日本人はどうやってこの中国人と付き合えたのだろうか。浴槽の問題で出て行ってしまったのだろうか。)

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バスクリンは日本文化です

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絶縁を阻むもの

夜22時過ぎた頃からノイズキャンペーンが激しくなる

野球のシーズンがまだ終わってないことが分かる

TVを視聴してないのでノイズキャーペーンを利用して

野球の勝敗の結果を教えてくるのだ

そういえば、セリーグとパリーグの

何とかシリーズがまだ残っていたようだ

ああーくだらない!興味もない!しかし

彼らの放つノイズキャンペーンでほぼ事実と違わぬ結果が読み取れる

(ニュースHP見てないけど、巨人と西武戦があったのではないか?)

すごい税金を一個人に費やしているので

彼らの性格の変態さのみならず、知りたくもない

正確な情報までノイズキャンペーンで被害者に伝えられてしまうのだ

また彼らは情報を伝えることで被害者を苦しめるのを得意がる

時として偽(にせ)情報を混じえながら

-

どこが勝とうが負けようが

野球に縁のない私には何の関係があるのだろうか

しかし強引にこじつけてマインドコントロールするのが

心理学を悪用したコインテルプロ

-

猿がカニに勝ったカニが猿に勝ったという話は

私にはどうでもいい

猿がカニに勝とうが何の証明にもならない

また逆も真である

古代ローマ時代から続く見世物ごときものに

帝国を堕落させ滅亡させる力はあっても

支配できる力はもともとなかったのだ

野球は子供の頃から軽蔑の対象だったので断っておく

馬鹿がやるスポーツは観ても価値のないもであると。

だから私は、成人になるまで正式な野球をやったことがない

まったく興味もなかったし観戦もしなかった

だからTVも視聴できない今は

再び本来の自分の趣味や性分に戻るまでのこと。

-

それでもまだ馬鹿達に関わっていさせようと

私への工作の為に裏金や埋蔵金の大枚が無為に使い込まれていく

ストーカー集団とどうしても絶縁を図れないならば

せめて野球だけでも絶縁しようと必死でもがいていても

付きまとう化け物たちにあれやこれや吹き込まれ圧倒されては

只々自分の無力を感じるだけなのは確かに惨めには思う

Bg2442rb

White_lion

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