一期一会
今回は昨年の今ごろの話。
Hさんのブログを発見しコメントをし始めたのは2007年夏頃から。同じ被害者に対して何故か気負わずに無意識に書き込めるような気さくな感じのホームページだった。12月になって被害者のHさんと会食をすることになった。Hさんから会ってみないかという打診があった。Hさんの他にも2名被害者(XさんとYさん)が同席するという。なにせ同じようなストーカー被害者の方と会うというのは期待と喜びがある一方緊張する。
約束の日にちが近づくに連れてその緊張は酷くなっていった。もしかしたら被害者の振りをしているい工作員ではないのではなかろうか。毎日、私のいたる生活に干渉して嫌がらせをしている加害者達のことである。もしそうだとしたら一体どんな目に遭ってしまうのだろう。期待はやがて不安に変わっていった。会食と言っても年末である。忘年会なのでお酒も飲むことに飲むことになるだろう。予算はどれくらい掛かるのだろうかとかさらに不安は増すばかりだった。落ち着きを取り戻そうと疑問に思ったことを兎に角その都度何かとメールしはじめた。
正直言って、はじめて会おうとする被害者の相手に対する細かい配慮は省かれていた印象をもった。しかし、それはただたんにHさんがこの被害者同士の会食を何度もこなして慣れているだけに過ぎなかった。後からメールを読み返してみると2日前前日、そして当日と相手に対するやさしい心遣いのあるメールを送ってくれていた。
当日12月30日。一人身の私には寂しく冷える季節。幸運にも天気が晴れた。晦日にもかかわらず、さほど冷え込んでなかった。今日は楽しくなるよう努力しようと思った。MかYのどちらかの町で会う約束だったが他の3人の居住区と私の合い間のMで会うことが決まった。Yさんは土壇場で来られなくなった。仕事入ったのことである。時間は18時。デパートTの入り口付近となった。Tの入り口は屋内になっていてかなり広い。エレベーターがビル側ではなく道路がわにビルの柱に沿ってついている。他にもまばらに何人か待ち合わせしている。
初めて会う人なので年齢も顔も体型も全く分からない。私の性格から私は30分前に到着していた。HさんとXさんらしい人を辺りをつけて探してみたが誰だか全く分からない。かなりあぐねいていた18時を数分過ぎたころ、携帯に連絡が入った。携帯で会話をしながらTの入り口にエレベーターの周りをグルグルまわっていると同じように携帯を耳にしている女性がいた。会話も私の会話に同調している。ここと互いが見合わせて、「Hさんですか」とまず私から切り出した。「そうです。はじめまして」。
Hさんは思ったより若い女性だった。それより驚いたのが美人であったことだ。女優の●●を小さくした感じだった。その横に体型のがっちりした男性のXさんがすでに待機していた。二人はかなり遭っているらしく親しい友人同士ようになっていた。ここにもう一人来るはずだったYさんのことで会話が盛り上がった。
早速、忘年会の場所探しに繁華街のほうへ皆で向かっていった。師走なのでどこも満員だった。せめて師走のことを考えて予約をとるべきだった。彼方此方店を探している合い間、先頭をきって店員に店の空席状態を聞いて回るHさんの小柄で美しい姿がなんともあいらしかった。ある店のビルでは二人しか乗れないようなせ狭いエレベーターに3人でギュウギュウ詰めで乗り込んだ。あまりにも狭いエレベーターにおかしくなって3人に笑みがこぼれたいた。このときのことも印象深くって鮮明に覚えている。結局この店も満席で断られてしまった。
3箇所ぐらい満席といわれて次第に疲れてきた。そしてついに席が空いている居酒屋にたどり着いた。そして3人でその店に入ろうとした矢先、さっと女2名男2名の4人連れの柄のよくない若い工作員風のグループが割り込むように入ってきた。私たちが店員に誘導された席の隣りにそのグループも座った。この工作員らしきグループに隣りの席を陣取られてしまったら、もう今日は楽しい会食はこの工作員たちに妨害されることも同じだった。楽しいはずの忘年会はもはや期待できなかった。
その時点では、この隣りのグループが工作員かどうかまだ半信半疑だった。楽しい席を壊されたくないが為に関係のない人たちであるように無意識的に願っていた。しかしこの隣りのグループが工作員であることを確信させたのは耳元で囁くように彼らの正体を教えてくれたHさんだった。やはり彼らが工作員であることをいち早く見抜いていた。私たちが思ったように時間が経つにつれて次第に彼らはその本性を表して行った。私たちが、話し合おうとするその工作員グループが会話を中断する。これは敏感なHさんが再び小声で教えてくれた。かなり気持ちわるいグループだった。そのようないやがらせの指示されて簡単な訓練をうけた工作員グループであったことは間違いがなかったと思う。私たちの会話の話題に何かと共通させて絡んでくるような話題にあわせてくる。彼らの会話にしばしこちらの会話が途絶え気味になった。彼ら工作員の声がだんだん不快に思えてきた。
そのうち40分も経たない間にHさんはトイレにいってしまった。1時間は出てこなかった。この隣りの工作員グループに完全に具合を悪くされてしまったのである。席に残こされたXさんと私だけが飲み交わした。Hさんのいない席はちょっと味気ないものになった。Sさんがトイレに逃げ込んだHさんのことを心配して店員に様子聞いて見ようかと提案していた。私も同感だったので、店員に頼んでトイレに今女性いるのだけれども大丈夫かどうか聞いてみることにした。
店員に話をしている最中にHさんがトイレからでてきた。「被害症状がでた」と打ち明けてくれた。隣りの工作員グループの嫌がらせという心理的暴力の結果であることは明白だった。一刻もはやくこの店を出てがった。私もXさんもHさんことを考えてでることにした。予約すれば、このような嫌がらせはある程度回避できるだろうか。いや予約しても加害者側はやる時はやる。こうやって予約を取らない方法は相手が機動性駆使して臨機応変に対応する分経費がかさむはずなので、むしろ集団ストーカーからの防衛策でもある。だから、最良の防護策は工作員がそばに着たかなと気が付いた段階でその店をでるべきだった。
しかし、師走も晦日だから何処も満席で、キャンセル待ちの空いた席に飛びついたのが苦々しい忘年会になる結果となってしまった。その後、悪酔いさましを兼ねてコーヒーだけ飲みにコーヒーショップにはいった。そこでなんとかHさんも打ち解けて話をできるようになった。そう思ったのもほんの数分だった。なんとまた工作員が隣りに座った。今度は単独の若い女工作員である。他に席がいっぱい空いているのに我々のそばに席を取る。この時はXさんも私も工作員には思えなかった。しかし、今年に入ってから私自身がこの種の屋内での付き纏いを頻繁にやられているので、間違いなくこの時のも工作員だったように回顧している。
そういえば待ち合わせでM駅についた瞬間から、もう車両系のストーカーは待ち伏せていた。四つ角のいたるポイントに9999や8888のナンバーの車が違法駐車していた。私に定例で付きまとっているゾロメ軍団である。Hさん達と出会えて、繁華街へ向かおうと信号が青に変わり横断歩道を渡ろうとしたとき、轢殺そうとするのではないかと思えるくらいにもの凄い勢いでストーカー車両が横断歩道を渡っている私たちに向かってきた。ゾロメではなかったがチェロキーでナンバープレートが0001というストーカー車両の典型だった。横断歩道寸直前でとまった。明らかに被害者、特に私に対する威嚇だった。かなり被害者同士が遭うことが気に入らなかったらしい。Hさんもこのときの恐ろしい体験の感想を述べていた。
普通の人ならば楽しいはずの忘年会ですら集団ストーカーの餌食なってしまう。ああ何と普通の人たちと比べたら不公平なことだろうか。帰りは10時ごろM駅の構内で7,8人の若い工作員ががやがや騒いでうるさいなと感じた。通り過ぎてまもなく後ろから、この工作員たちが大きな叫び声に近い呼び声をあげていた。「Hちゃーん!Hちゃーん!」。私を対象に私の背後に浴びせ掛けていたのは明らかだった。今しがた別れたHさんのことを仄めかして叫んでいる。しかし工作員の仲間が私の前方にもいたのでそこに居合わせた通行人たちは私をとり挟んで私の前後で友人同士の呼び合いに聞こえるような体裁は取り繕われていた。
工作員の冷やかしやを兼ねた嫌がらせだった。このような嫌がらせは初めてだった。「Hちゃーん!Hちゃ―ン!」恥もしらない外聞もしらない工作員には、カルトめいたどこかの宗教の信者のようなものさえ感じる。私とは無縁だった宗教団体も偶に絡んだりしているだろうか。私の被害は警備公務員が中心に存在して集団ストーカーを主導している分析をしている。宗教系集団ストーカー被害とは一線を画していた。しかしこの若い工作員たちは非常に宗教団体関係を匂わすものがあった。
会の席上の時に話は戻るが、Hさん達の為にブルーベリーとメロンの羊かんをお土産を用意して渡してあった。そのお礼のメールがあった。なんとも律儀な人でもあった。忘年会は工作員たちによって台無しになってしまったが、その羊かんのお土産だけがなんとかその時の忘年会を不愉快で無意味な結果に終わらせることをかろうじて防いでくれたような気がした。孤立しやすい私のような被害者と他の被害者の人間的なつながりの機会をつくってくれたHさんXさんYさんに今でも感謝している。印象深い思い出をつくってくれて有り難う。
悲しいかな現在はHさんと仲違いの状態にある。私の方が数段被害が重いことが原因である。私は集団ストーカー被害に加えてメディア被害も抱えた重症被害者である。このような被害状況では友人、知人をつくることも至難の業である。孤高ならば自分の意志によるものだけれど孤立している現実を考えると加害者側の計算と思惑通りであると考える。被害者の人格攻撃に転化してしまえば、なおさら加害者側の術中に嵌まってしまう。そうとしか今は言うことができない。
私は加害者側、特に私に膨大な情報を吹き込んできたメディアへの不満とそれらのからくりを最後に書いたのだが削除してしまった。メディアははるか個人よりも洗脳や策略に長けている。それだけメディアからの報復を恐れている。いや、さらに恐れていることは私がメディア被害を受けている限り、Hさんは私を許そうとはしないことだろう。私の人格や人間性を憎まれることはさることながら、集団ストーカーにもまして過酷なメディア被害の境遇に私がいることに対して恨まれ疎まれるている。もし真実ならばこれほど恐ろしいことはない。実際、「本音」(タイトル名)としてそのような趣旨の身も凍るようなメールを受け取った。このメールを目にすれば、すなわちHさんの言う「本音」の前では、私への人格否定はかなり脚色された飾りものにすら映ってしまう。私の努力ではどうにもならないことを悲しく思う。努力が仇になり気遣いがかえって傷つけてしまうように二つの巨大な力は反転しあう歯車の役目をしている。とんでもない世界に私は放り込まれている。
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