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コリジョンキャンペーンと巨大カルト2

テレビは2004年以来気持ち悪くなるので見ない。一つの理由にスポーツ観戦中、特に野球の快現象めいたものや野球の勝敗の原因を被害者にコジツケが甚だしいこと。また被害妄想的な理由付けを大の大人たちが、被害者に対して真剣にやっていること。このような集団狂気に耐えられないことを前回「コリジョンキャンペーンと巨大カルト1」のところで述べた。

ところが、いくらテレビを観ないようにしていても、プロ野球をやっている時間帯、ストーカー集団が野球の情況を、車両の騒音や夜鳴きラーメン屋のスピーカ―の音で知らせてくる。バイクや改造車両の暴走音を家の回りをグルグル回らせると巨人が勝ったという意味に使われ、逆に、夜鳴きラーメン屋がラッパを鳴らす時や緊急車両が横行するときは巨人が負けた時に使われている。私は被害者になってからアンチ巨人になったから、余計に私への嫌がらせとストーカー行為でやっている。これじゃ折角テレビを視聴を止めた意味がない。いやそれ以上に怖いのは巨人が勝てば私という被害者に対して集団ストーカー行為が正当化されるといった子供のような加害者の屁理屈を押し付けられることだ。警察が中心となったストーカー集団と私という個人の被害者の生活とが無理やり結び付けられこじつけられ、プライバシーが雁字搦めされて息苦しくてしょうがない。

一国の公務員たちがするべきことなのだろうかと未だ信じられない思いでいる。(”いきがみ”とかいう映画は人としての権利や人格や人間性を奪い取られ生贄になることにより巫女やアミニズム的な神のように祭られた私のような集団ストーカー被害者がモデルとなっている。少なくとも私の前ではそのように”仄めかされて”宣伝されている)また、そのような子供じみたことでしかストーカー行為を正当化できる理由が見出せないでいるならば、その時点でこの集団犯罪は間違っていることを認めたらどうだろうか。(セコムの宣伝に巨人の長島茂雄元監督が使われているが、警備会社は警察官僚天下り先のトップであり防犯ネットワークの象徴的存在である。この辺に「天下りの存続」と「防犯カルト教の絶対正義」を野球という勝敗ごとに自らが関連付けてしまっている気がしてならない。簡単に言えば巨人が勝てば”集団ストーカー”も”天下り”も”正しいこと”と言うわけだ。何たるナンセンス!)東京多摩地区の方々、近所が暴走車両、緊急車両の騒音でうるさいと思われたら、こうした常軌を逸した税金の使い方もされていることをどうかご留意のほど。

警察の一室で、私の姿を監視と称して盗撮盗聴しその脇に同時にプロ野球中継を同時にモニターに映し出して観ている特殊公務員たちの姿を容易に想像してしまう。特殊公務員たちは野球の試合の経過に応じながら、ゾロメ暴走車両や夜鳴きラーメン屋、また緊急車両を特定個人めがけて手配する。決して、私が思い描いている妄想ではない。妄想を抱いてその妄想を実現しているのは肥大化しすぎた官僚機構にどっぷりつかっている者たちの方である。妄想を実現するにはそれ相応に財力と人員と設備が余剰過多に必要である。民間では限られる。民間が単独でやろうとすると武富士の盗聴事件として表面化する。宗教団体が単体でやればオウム教団のように潰される。

大阪府教委高等学校課(大阪市中央区)の机の上に盗聴器が仕掛けられていたことが分かり大阪府警東署が捜査に乗り出したそうだが、これくらいのことは集団ストーカー被害者は24時間365毎日日常的にこれらの特殊公務員にされていることである。教育委員会を盗聴するのは犯罪であり、前科もない一般国民である被害者を盗聴するのは犯罪ではないとする区分けや差別が未だに理解できない。いや一生理解できるものではない。

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